今まで、すべての人にお世話される側にいましたが、
豆柴の足袋くんがきてから、少しお世話をすることになりました。
とはいえ、ご飯をあげて一緒に散歩に行くくらいですけれど。

お風呂からびしょびしょのままあがってくる私の、
濡れた足をなめにわざわざやってきてくれるので
足袋も私のお世話をしているつもりだと思われます。
(彼の心情は「柴犬『たび』のブログ」
ときどき記しているようです)

去年5月の上の写真はまだ生後2週間くらい。
2カ月で家に来たときも咳はしているし、ちっこし、
おろおろな毎日でした。

しかし、いまや、大型犬用のドッグランに入れれば
大型犬にこてんぱに吠えられ、それでも精一杯立ち向かっていく
今日このごろ。
怖いときはベンチの下に隠れたり、人間の後ろに隠れる
処世術も身につけました(これ大事)。

『柴犬の育て方』の本はもやは部屋の隅に追いやられ、
マイペース対マイペースの変な生活が繰り広げられております。

これからも引きこもり&運動不足の私をせっせと散歩に
連れていってくれることでしょう。
変な犬と散歩したい方は代々木公園集合です~。

追伸:前回はしょんぼりなブログでご心配おかけしました。
いろんな方に支えられて、しっかりオランダまでお墓参りにも行って
大切な思い出にしていってます!

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クリント・イーストウッドの演出や脚本がよいからと、
夜10時からの上映を観にいった。
う~ん、そんな判断もできないくらい、どっぷりと
落ち込んで帰ってくる。

2人の登場人物が出会うロンドンのメイフェアホテル。
取材で滞在したときに、友人が訪ねてきてくれたのを
覚えている。テムズ川沿いを散歩して、
食事に出かけ、久しぶりにお互いにいろんなことを話し込んだ。

その一週間後、その友人は命を絶った。

仕事やプライベートの悩みはいつもメールでやりとりしていたし、
それに負けるような人じゃなかった。

遠く日本で、それもインターネットで訃報を知った。
20日間、連絡が取れず、見つけたのは訃報サイトに載った名前だった。
唯一、面識のある仕事のパートナーにメールを送っても
理由は分からないという短い返事しか帰ってこない。

何も分からないまま、1年間泣き暮らした。
なぜ何も言わずに逝ったのだろう。

死者からのメッセージを伝えてくれる方法を、
映画の子供のように私も探した。

死者との会話ができるという人に出会った。
「その人はすごい怒りの中にいて、話せない。
自殺じゃないんじゃないか」
そう言われた。

想像もしていなかった内容。自殺じゃないの?

今も真実は分からない。

思い出したように、仕事のパートナーにメールを書く。
「なぜ死を選んだのかしら」

そう聞く度に彼は沈黙する。

映画の中の霊能者は
「何でも知ればいいというわけではない」と繰り返した。

真実はどこにあるのだろう。
いつか本当のことを知ることができるのだろうか。

10数年前は中華街の一区画で小さくやっていたお祭りだった
気がします。

聞けば、知り合いのドクターやお仲間が中国に灯籠を
買い付けにいって、地道にはじめた町おこし。。。

それが今では100万人を動員するお祭りになった
長崎ランタンまつり。

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本格的な旧正月のお供え物。
ホンモノの豚がたくさん飾られてます~。ちょっとグロいですが、
ジロジロ見てしまいます。。。

ランタンまつりは、旧正月の2週間開催しているのですが、
基本的には華僑の方を中心としたお祭りです。

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灯籠を飾る場所やイベントをする会場も
どんどん増えていっていています。
開催は暗くなる夕方5時から10時までなので
2夜見に行かないと全部見れません。

今年はお正月に帰省できなかったので、
ランタンまつりの時期を狙って帰ってみました。
しかし、マイレージでチケットは取れないし、ホテルも満室!
うーん、うれしいような、悲しいような。

私が家に泊まると、
母がその前に張り切って掃除をしすぎ、体調を崩すので
最近はホテルに泊まってましたが、今年は実家にステイ。
(大変だったけど、準備が楽しかったようです。
今度からやぱりおうちに泊まろうかな~犬は大丈夫かな~)

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ヨカッタのは、唐人屋敷跡めぐり。
500円でろうそくを4本もらい、近くの唐寺を4カ所巡ります。
長崎に18歳まで住んでいたのに、こんなところにこんなに多くの唐寺があるなんて!
宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」みたいな場所が趣あります。

中華街はまたにぎやか。短い通りですが、人だらけで
なかなか進めないので、ちょうど良いです。

幼稚園の頃は中国からの生徒もけっこういたのですが
(長崎大学の医局にお父さんが留学してらっしゃる)
中学、高校は若干、華僑の子がいる程度だったので
ピンとこなかったのですが、思ったより、長崎には中国文化が
根付いているようです。西洋だけじゃないのですね。

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日中はアーケードで皇帝パレードなどがあります。
私もチャイナ服着たいかも。。

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中華街からはちょっと離れていますが、眼鏡橋の周囲も
ライティング。水面に白鳥や蓮も浮いています。
母はお昼しか通らないので、「ハリボテが置いているよ」と
言っていましたが、意外に雰囲気がよいです!
川に下りられるのもよい。。

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混むし、夜だしで、地元の人は行ったことがない人もいます。
両親もちゃんとみたことがないらしいので、
2日目はふぐを食べに行って、帰りにお寺と孔子廟のライティングを
一緒に観ました。

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4月はチューリップまつり、初夏に帆船まつり、夏はお盆、精霊流し、
秋はおくんちと、なんだかイベントだらけ。
実家が観光地だと、帰省するのもなかなか楽しいです。
飛行機だけなんとか安く取れれば……です。

準備を手伝ってくれたり、何度も遊びにきてくれた、
2番目と3番目のお姉ちゃんに感謝~!

at6南極クルーズといってもルートはさまざま。
南極海をかすめるだけのクルーズもありますし、
天候を見ながら、南極の島々や大陸に立ち寄るクルーズもあります。

「クレリアII」ではエキスパートの船長や航海士が協力してくれて、
さらに奥の南緯66度33分の南極圏を目指しました。
天候が悪いと、スケジュール的にも諦める必要がありますが、
晴れ男晴れ女が集まったのか、連日の晴れ!

1月20日の朝7時には南極圏到達を祝して、デッキでシャンパン!
盛大にお祝いです!
(船に乗っている科学者の方たちもGPSの66.33を片手に記念写真!
それほどラッキーなことらしいです)

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本当は南極圏のどこかに上陸をさせてくださろうとしたらしいのですが
適当な上陸ポイントがなかったとのこと。。。
そんなとき、このアザラシを見たのでしょうか。。。

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このペンギンたちに刺激されたのでしょうか。。

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私たちも流氷の上に上陸させてもらいました~。

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これ、けっこう危険で、50人を少しずつ乗せて記念撮影している間に
流氷が2つに割けること2回。。。
割れたら、新しい流氷をエクスペディションチームが探してくれました。。

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三浦雄一郎体長と坂井シェフと流氷の上で貴重な記念写真!
シェフはコックコートですよ。。(そんなに寒くないのです)

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↑大人の遊び、贅沢すぎます。

まわりには青く美しい流氷が……

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船に戻る途中、紳士の方々が流氷をピックアップ。。。

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もちろん、2万年前の氷でこれを楽しむためでありました。
20キロの氷を引っ張り上げるのは本当に大変なんですが、なんのその!

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翌日はポート・ロックロイ島という観測地へ。
第二次世界大戦中は英国が密かに基地を作って場所だそうで、
現在は観測基地になっています。さらに昔の越冬の生活の様子を
紹介する博物館と南極唯一のお土産屋さんがあります。
(研究員が基金のために、店番を交代でやっているのです)

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ポストもあって、英国経由ですが、郵便も出せます。
ポストの写真コレクターの私にはたまらない場所です。ふふ。

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もちろんペンギンもいますよ~

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残念ながら、どうやら天気が崩れてきているとのこと。
日程を1日半早めて、この日の夕方にはドレーク海峡に向かうことに。。。
残念ですが、安全のためには天候と相談するしかないようです。

(他の客船も慌てて、一緒に大陸に向かうほど、危機一髪でした。
12月には「クレリアII」は大波で操舵室のガラスが割れたことがあり、
正しい判断をしないと、本当に危険と背中合わせなのです)

揺れる前に坂井シェフの、2回目のディナーがありました。
やさしいフレンチがお腹にしみます!

また、このクルーズですばらしかったのは、
三浦隊長の講演が聞けたり、ラウンジで普通にお話できることでした。

さらに、三浦隊長の北海大学時代の親友で、今はアメリカにお住いの
本庄先生という海洋学の権威(ノーベル賞級の研究をされてる先生)も
同乗してくださって、講演やいろんな質問に答えてくださったことでした。
三浦隊長の奥様、本庄先生の奥様も学生時代からの仲間とのことで、
まわりを和ませ、爆笑のお話をたくさん披露してくださいました~。

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↑ 知的好奇心と“年齢で諦めない”ことを教えてくださったお二方!
78歳でも現役で世界の舞台に立ってらっしゃる親友同士です。

さらに今回、南極上陸の注意や動物についての講義などは
三浦隊長のお嬢さん、エミリさんが大活躍。すばらしい通訳とリーダーシップと
心遣いでみんなに頼られてました! とても美人さんでもあります~!

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さて、船はドレーク海峡を北上していきますが、
夜から揺れ始めました。普通に寝ていると、ベッドから転げ落ちそうです。
みなさん、壁に足を上げてつっかえ棒にして耐えたそうです。

ちなみに、今回のお部屋はこんな感じ。

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ウォーキングクローゼットもあって、広いです!
でも、ドレーク海峡を通った朝、目が覚めたら
机の上のものは全部、床に落ちてました。。。

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波の高さは4メートル。でも船が小さいので、すごいです。。。
椅子をつかんで、椅子とともに転倒された方や
チェーンで留めている椅子に座っていたら、チェーンが切れた方も!
厨房も全部紐で結んでいますが、皿が割れる割れる割れる。
コックさんたちにやけどの痕が多いのもわかります。

私は探していた、酔い止めパッチをフィリピン人シェフが
こっそりくれたので、帰りはなんとか酔わずに過ごしました。

しかし、揺れ続ける2日間。耐えるしかありません。

(まったく平気でお食事もぺろっと召し上げる方と、
客室から出て来れなくて寝たきりの方もいました~)

南極が人を寄せ付けない理由はこれで、
でもだからこそ、南極の自然は守られてきたのですね。

この景色を見られたことを思い出せば、揺れだって我慢できます!

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アラスカもすばらしい自然ですが、規模は南極が100倍くらいでしょうか。

1日早く、ウシュワイアに着いたので、観光をして、
翌日、飛行機でアルゼンチンへ

夜は、タンゴが見られるレストランで、アルゼンチンのステーキを
いただきながら、ショーを鑑賞。
今では観光客用なのかもしれませんが、こんなダンスが
街角で生まれる街は素敵ですね。

帰りも再び、ブエノスアイレス~ローマ(14時間)、
ローマ~成田(12時間)の空路。
時差はちょうど12時間だったので、
時差ボケと南極ボケ(現実社会にもどれません~)が
けっこうありました。。

しかし、思いがけない、すごい体験でした。
関係者のみなさまに感謝!です。

1月6日にLAから戻って、12日にはまたパスポートを持って空港へ。
そうです、去年、船の故障でキャンセルになった南極クルーズが
今年実施されるのです!

しかし、遠いです。
まず成田~ローマ。ローマ~アルゼンチン(ブエノスアイレス)。
そこで1泊して、なぜか対岸の国、ウルグアイを表敬訪問。
アルゼンチンのステーキを食して、他のツアーのお客様と合流。
ブエノスアイレスから最南端の町、ウシュワイアまで3時間。
飛行機だけでも32時間くらい乗ってました。ぜー

船はほどよいサイズでシックな「クレリアll 」(5000トン、70人乗り)。
今回はグローバル・ユース・ビューローさんが力を入れて企画したツアーです。

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企画した同社会長は御年70歳、今回の隊長は冒険家の三浦雄一郎さん(78歳)、
ゲストシェフは鉄人の坂井宏行シェフです(67歳)。
このキーマンたちに負けず、参加者の方々も89歳を先頭に平均年齢70歳!
「船酔いした」「疲れた」とかぜったい言えない環境です……。

まずは悪名高きドレーク海峡を渡ります。波は2~3メートルらしいですが、
4分の1くらいの乗客がダウン。私も1日ダウンしました。

2日間のドレーク海峡を耐えると、南極に出合うことができます!
見たことがない世界が、人が住まない世界が見えてきました。

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1月18日、2日ぶりに陸地を踏みます。
ブーツを消毒し、自然の専門家が見つけやすいように、
皆お揃いの赤いパルカを来て、小さなゴムボートでペンギンの大営巣地に上陸です。

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ひえ~ペンギンだらけです~。動物園もびっくり。

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午後にはもう一カ所。いずれも環境保護のため、1時間弱の滞在です。
ペンギンから5メートル以内には近よってはいけません。おそるおそる歩きます。

船内では南極にいるにしてはなかなかおいしいお食事が出ていましたが、
このクルーズ中は2回、坂井シェフのディナーがあります。
いつも仕事で、いろんな客船に乗っていただいているので、
私もエビの背わた取りなどを手伝います。“南極のお料理学校”。。。

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材料や調理器具は揃いませんが、福岡店のシェフと
坂井シェフの息子さんも同行しているので、総力を挙げて頑張ってます。

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お客様も南極で鉄人のお料理が食べられるので、大喜びです!

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翌日はネコ・ハーバーという湾のある島へ上陸。

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そして南国育ちの私が見たことがない雪山が!
山の上に小さく人々が見えます~。

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当たり前のように、雪山を登っていきます。平均年齢70歳ですよ!

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でも三浦隊長が一緒だから、なんだかうれしくて頑張ってしまいます。
三浦さんのお知り合いの方もかなりいらしたので、
エベレストに上ったことがある方も普通にけっこういらして、ビックリです。。。

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下りはお尻で大滑降! あの高さを滑るのですからただごとじゃありません。

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でも楽しくてちょっとやみつき。登りたくないけれど、滑りたい……。
大人の、贅沢な遊び道具、滑り台です!

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再び船にもどり、ルメール海峡と呼ばれる美しい海峡を
航行し、景色を楽しみました。

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後半に続きます。

もうすっかり2月も後半でございます。
新年のご挨拶もできず、3月に突入です。。。。

12月は大晦日の夜に羽田新国際ターミナルへ。
夜中の12時05分の便なので、空港もがらんとしていて、
さんざんニュースでやっていた楽しそうなお店も全部閉まってます。。。
そんなああ。

気を取り直して、機内へ。荷物をしまって、えっと、えっととしている間に
新年迎えているではないですか。。。。がーん。機内放送くらいしてくだっさい。

向かう先はLA。16時間の時差があるので、2回カウントダウンができます。

空港からタクシーでホテルへ。今回はSLSホテル ビバリーヒルズ
という
ホテルに4泊です。もと日航ホテルだったらしいですが、
今は有名デザイナーが手がけたおしゃれなホテル。

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↑エレベーターの内装からして、こんなデザイン。
誰が乗っているのかビビります。4台あるエレベーターの写真は
全部違うので、お気に入りができてきます。

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お部屋もシンプルで完璧なデザイン。バスルームからベッドが見えます。
うーん、自分の家だったらこんなデザインにはできないだろうなあ~。

ラウンジや屋上のプールも素敵。
寒くて泳げませんが、 プールサイドのカバナでは、
マッサージも受けられます~。

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夕方着いて、軽く夕食を食べ、夜は別のホテルのオープンエアのバーへ。
毎年いろいろカウントダウンの場所を模索しているわけですが、
LAはけっこうみんなクラブなどでカウントダウンする人が多いとか。
前もって勝手もらっていたチケットを持ってGO.

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ライブやDJの音楽で時間待ち。そしてハッピーニューイヤー!

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時差ボケているので、カウントダウンしたらとっととホテルに退散。

でも翌朝は日本から持っていったおせち料理をしっかり!

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米国で弁護し試験を受けているRちゃんと3人で食べ尽くしました。。。
やっぱり日本人のお正月はおせちです!(注文したやつだけど)

お昼からはお仕事でお世話になっているT会長が
すばらしいスピードでLA観光に連れていってくれました。
天文台からの、LAのお正月!快晴!

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恥ずかしいですけど、チャイニーズシアターにも行ってなかったので、
一応、ジョニー・デップさま(偽)と記念写真。

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LAに行くと言ったら、「In-n-Out Burger」という
西海岸周辺のハンバーガーチェーンにぜひ行くべし!というお勧めが……。
夜中タクシーで移民の多いエリアのお店でこれをかぶりつく。
Facebookに書いたら、あっという間に
サンディエゴからシアトルまで「おいしいだろう!」とファンたちの声が
ゾクゾクと寄せられました。そんな人気なんか~!In-n-Out Burger…

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ちょっと雨が多かったのもあり、比較的のんびり。
食事はホテルの前の「権八」やT会長お勧めの「KATSUYA」へ。
(ノブさんの「MATSUHISA」もホテルの近くでしたが、休業日)

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上の「KATSUYA」はLAに4軒ほどありますが、スーパーおいしいです。
今でもここのご飯を食べるためだけにLAに行きたくなるほどです。
独特なアレンジの日本食。でも日本人も受け入れられる味です。スゴイ!
LAでけっこう注目のレストランらしいです。
日本でにも出店してくれないかなあ。

最終日はサンタバーバラへ。これは途中のマリブにあるレストラン。
日本にこんなレストランがあったら、激混みですね。
海岸線独り占め~。

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LAは仕事で来たりするけれど、今一歩つかみにくい場所だったのですが
T会長のすばらしいガイドと説明で理解が進みました。
遊びにくる街というようりも、住むと快適という場所なのですね。
ある程度お金があれば、すごく楽しい街。。
(NYとかと比べるとちょっと大味な感じですが、
この天候と広々感が魅力的なのかと)

うーん、ちょっと寒かったので、今後は暖かいときに
小金持ちになって来ましょう。。。

プチ家出から始まった2010年は本当にいろいろありました。

編集部を卒業し、長い充電生活を開始(復活は来年くらいで(笑))。

柴犬のたびくんが家に来て、初めての犬との生活。

イタリアに亡命したり(?)、そうそう視力もよくなりましたね。

合間、取材もあれこれしつつ、仕事もしつつ、プライベートでも

あれこれありました。ほう~。

 

もうどうなっちゃうのかしらんという感じでしたが、

本当にまわりの友人に救われ、元気になり、

このまま恐ろしいほどパワーアップしていきそうな勢いです。

ピンチがチャンス。うん、うん。

 

あと4時間で飛行場へ。カウントダウンは機内の中。

年が明けた12時05分にテイクオフ!です。

なかなか素敵な1年の始まりです。

このままジェット気流に乗って飛び出してゆきますよ。

みなさん、ついてきてね~。

 

ひとまず、なぜかLAでお正月ですが、

2011年はともにかくにも元気に楽しくハッピーに

あれこれしていきます。

 

だらりんな1年で、年賀状も月刊クリスマスの発行も、

5年前の確定申告も、ちゃんとしたご挨拶もできませんでしたが、

来年こそは~。

 

みなさま、本当に1年ありがとうございます。

かつてなく、助けられ、元気をもらった1年でした。

来年ももっともっと仲良くしてください。

どんどん遊んでくだっさい。

 

さて、年越しそばくらい食べてからまいりましょう。

 

みなさまもよいお年を。

 

愛を込めて。

とうとう先週の木曜日にレーシックの手術を受けちゃいました。

犬の足袋くんが家にやってきて、夜中もうろうろするのだけど、

コンタクト歴20年以上、0.03の視力の私には

どこにいるのかさえ見えない……。

普段はさほど不便でなくて、カラーコンタクトレンズで遊んでいたくらいなのに

犬の足袋君の力は偉大。。足袋くんの寝顔を見ながら寝たい!

 

ちょうど仕事先の方がご本人も含め、社内で3人くらい、

続けてレーシックを受けたらしく、話を聞いていたのも大きかった。

「とにかく痛いのが嫌いで歯医者も無痛歯医者を捜したんですよ~」。

という方の言葉なら信じれる。。。信じてついていきます。。。

(丁寧に体験談を教えてくれて、ありがたや~。こういうのは体験者の話が一番デス)

紹介してもらって、超メジャーなクリニックへ。

 

ソフトコンタクトだと、検査と手術前の3日間、メガネ生活を送らなければいけない。

1年間で合計2時間くらいしかメガネをかけない私は苦痛。。。不便。。ビン底メガネ。

テンションが下がりっぱなしなので、検査と手術が同じ日に受けられるコースにした。

1万円追加になるのだけど。。。

 

有楽町のイトシアの15階に当日の朝タクシーで乗り付ける。

平日だし朝早いのでそんなに混んでないけれど、視力検査の機械だけで

20台くらい並んでいて、スゴイ。土日はすごいんだろうなあ。

 

検査も実に丁寧な対応でスムーズ。

コンタクト歴が長すぎるし、角膜に少し傷があるような気がしたので

手術適応外かもと心配したけれど、診察してもらうとOK。

ソフトコンタクトを20年していると眼底細胞が空気を取り込めずに

変形(?)したり、減ったりしているのだけど、なんとか数値も適応内。

 

12時には検査も終わり。検査で瞳孔を開く目薬をしたので、

手術は5時から。地方から来た方などは専用の休憩室がある。

私は0.03の視力のまま会社へ。誰が誰だか分からないまま、

最低限の仕事を終わらせて、また有楽町にとんぼ返り。

 

再度、視力検査をして、お支払いをして、

下の階へ。6人グループくらいで手術のフロアに下りていく。

最後の診察をしてもらって、痛み止め、充血止め、炎症止めの目薬を

さされる。一人ずつ、手術室前の椅子にご案内される。10室くらいあるのかな。

前の人が入って行って、レーザーのグイーンという音が聞こえ、

ちょっとタンパク質の焼けるような匂い。。ひえ~。

でも、10分くらいの検査が終わると、「ありがとうございました」と

声を出して出てくるので、だ、大丈夫か。。。?

 

そして私の番。10畳くらいの手術室、ベッドに横になる。

まつげをテープで留められ、あっという間に何かの機械が

目の上に下りてくる。麻酔をされているので痛くないけど、

押しつけられている感じ。。。

救いは隣にいる助手の方が「30秒、25秒、10秒」とすすみ具合を言ってくれること。

これで角膜を丸く切り取る。

機械が上がって、先生が角膜をめくる。

次にまた機械が下りてきて、水晶体?を削る。

こちらも「80%、60%、40%」と聞こえるように進行状態を言って

くれるのがありがたい。心理ついているなあ。

 

右目の3分間くらいはただただ恐怖だったけど、

いやおうなく左目へ。どんなことが起きて何秒くらいかの目安が

分かるので、まだ少しだいじょうぶ。

「はい、終わりました。ゆっくり起きあがってください」と

起きたときはまだぼんやり。でも痛くはない。

健康ランドの休憩室みたいなところ(暗い)に連れていかれ、

「ここでしばらく座っておいてくださいね~。

これが先ほど手術を担当した医者の名刺ですよ」と渡されるけれど

目をつむって名刺を握りしめたままリラックスチェアに身を沈める。

次々と手術が終わった人が並んで座る。

目をつむっていること20分。

「はい、痛み止めの目薬さしますね」と看護婦さんが来たので

そっと目を開けると、ぼんやりと張り紙の文字が見える。。

痛みはほとんどないけれど、隣のおじさんが「少し痛いです」と

訴えていたので、少し安心する。。。

 

しばらくして、並んだ6人がドクターのところに連れていれる。

目の状態を軽く、順番に見てもらい、

担当のおばさまから目薬4種と保護用のメガネをもらう。

全員で靴置き場に行って解散。シーンとしていたけれど、

カップルで来ている人たちがいて

「怖かったね。。」とささやきあっているところに

一緒だったおばさんが「本当ね、怖かったわ~」と参加。

みんな「短かったけど、怖かったねえ」で意見がまとまる(笑)。

ここらへんをグループにすることによって、恐怖や少しの痛みを

和らげる効果を狙っているのかも。。すごいぞ。

 

もらった保護メガネをかけてぼんやりしたままタクシーに乗る。

痛みはゴミが入って最大に痛いときの10分の1くらい。

タクシーに乗ってた20分、目が開けられずに

しょぼしょぼしていたけれど、家についたとたん大丈夫になった。

 

ただ、まだぼんやりしていて、目薬の使い方が読めないので

おうちの人に読んでもらう。

1時間おきとかに4種類の目薬を差して、就寝。

 

紹介してくださった方は帰りの電車で涙が出てきて、

男泣きに泣き、家に帰って痛かったけれど、

もっと痛くなったら嫌なので痛み止めの目薬を我慢して寝たと

言っていたけれど、私は痛み止めの目薬もありがたく何度か差した。。

 

夜、寝ている間に無意識に目をかかないように、ジェイソンのような

アイマスクを貼って就寝。

 

朝起きたら、見える。。。見える。。。見える。。。

翌日、検査に行ったら1.2か1.5くらいになっていた。

痛みもほぼないまま。コンタクトで鍛えた強い目バンザイ。

 

いきなりの、コンタクトとの決別で不思議な毎日です。

夜、目が見えるまま眠る不思議。。朝、時計が見える不思議。。

すごいなあ、レーシック、便利だぞ。

 

結論から言って、すごく楽で便利になった。

「失敗して失明しないか」と心配だったけれど、

機械が精巧にできていて、何かの不手際で失敗するなんてことは

ほとんどないみたい。システマティックなクリニックも便利といえば便利。

対応、検査、手術、術後などすべて完璧な流れになっている。。。

 

ひとつ気になったことと言えば、手術前、40代に近い人は別室に呼んで

近眼と同時に老眼の手術(薄いフィルムを埋め込む)を勧めること。

「同時にしないと、あとからできませんよ。

近視が治ってもすぐ老眼になるかもしれませんよ。

メガネが嫌で受けるのでしょう」みたいな。

ちょっと強気のお姉さんだったので、ちょっとムッ。

断ったら、「まあ、そのうち、レーシックの後で追加手術できる日がくるかも

しれません」と手のひらを返す。。なんだ、そりゃ。怖いなあ。

 

手術の翌日検診後も紹介システムを紹介される。

ホテルのコンセルジュのような、保険会社のおばさんのような

対応のプロが会員制度を勧める。

確かに私もそのお世話になったんだけれど(3万円値引きがありました。

紹介者にも同じ金額がキャッシュバッグされる)

確かにみんなハッピーなんだけど、

これのおかげで、すごい勢いで広まっていっているような。。

必要善のネズミ講みたい?

 

と、覚えている間に長々の恐怖体験を書きました。

さて、メガネとコンタクト周辺グッズを捨てなければ!

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今年は母と父がめでたく80歳!

父のお誕生日会をするというので長崎に帰りました。

帰った日の夜はおうちでケーキを。

私はすごく遅く生まれた子なので、

「お父さんとお母さんは早く死んじゃうのだから

言うことを聞かないといけないよ」と脅されて育ち、

幼心にそれがとても怖かったのでした。

でもなんとか父も母も元気で80歳を

迎えてくれて何よりです。おめでとう~。

 

翌日の土曜日に家族そろってお誕生日祝い、なぜか母が主催(笑)。

埼玉に住んでいる長女の姉とその娘&息子だけが都合で

参加できませんでしたが(残念!)

それ以外の家族11人がそろいました。

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食事会かと思いきや、義理のお兄さんが舞いをしてくれたり、

姉が三味線を弾いたり、甥っ子がギターを弾いての宴会です。

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私も何か芸を磨いておけばよかったよ……。

 

小さいときは姉妹が多いと上下関係もあるし、お下がりばっかりだし……と

思っていましたが、今、これだけいっぱい家族がいるとうれしいものです。

本当に「子供のため、孫のため」に生きてきた父と母。

80歳で医者をやめると言っていた父ですが、後任者が見つからず、

まだしばらくはお仕事もしなきゃいけないよう。。

 

今日、東京に戻る私に「これ飛行機代に使いなさい」とパパりんがお小遣いを……。

あああ、いくつになっても甘やかされ娘はいかんですな。

お父さん、お母さん、元気で88歳もお祝いしようね。

いままで、いろんなものをなくしてきたのですけれど、

まさかパスポートをなくしてしまうとは想像もつきませんでした。

正確には客船の中で受け取るのを忘れて下りてきちゃったのですけれど。

すでに日本を出て中国に向かっていた船に衛星電話でかけても

船内に余分なパスポートはないというのです。

もらって下りてこなかった私が悪いのですけれど。

一体、どこをめぐっているのでしょう、私のパスポート。

 

ということで、10月予定の地中海クルーズ 大名旅行はなくなり、

しょんぼりしながら代替の沖縄に行ったのでした。

 

それはともかく、そのあと戸籍謄本を取り直し、

最寄の原宿警察署に紛失届けを出して、

都庁の旅券課へダッシュ。

都庁には自動撮影機がなくて、写真は2枚で1500円というスタジオで

お姉さんがポージングをしてくれ、最後ドライヤーで乾かすのをじっと待つ。

あと20分で旅券課が閉まる!と焦りながら、都庁を走り回ります。

 

紛失もかなり重大なことなので、いろいろ書類がいるのですが、

最後なので、20分で引換券がもらえました。

今まで、有楽町で半日かけて、ときに献血ルームでつぶしていた時間は

何なのでしょうか。まあ、献血ができるのは楽しいですけれど。

 

1週間後に新しいパスポートができます。

 

振り返れば、海外でもいろんなものをなくして、警察にお世話になりました。

シドニーでカメラ(タクシーに置き忘れ)、ロンドンでお財布(スリ)、

パリでは一緒にいたベルギー人が地下鉄でお財布強奪。

そのたびに地元の警察署で書類を書いてもらいます。

仕事に差し支える事件がなくてよかったなあと思ってしまいますが、

なんだか殺伐とした警察署で書類を作ってもらうのは

もう十分だなあ。

 

今度のパスポートはなくさないようにしよう。

それにしては、走って写真屋さんを探したので髪もばさばさ

納得がいかない写真なのですが、

やっぱり大切にしよう。