福岡市で働く姉が5月初旬から、自治体ごとの医師派遣で
いわき市に行く予定でした。
ところが、GWに入ってから、「とりあえず医療環境が揃いつつあるので」と
指示待ちになってしまいました。
緊張しつつ、自分なりに、医療プラスαで何ができるか考えたり、
他の医療従事者の方からアロマオイルを預かったりしていた姉のGWは
ぽっかり空いてしまったのでした。

「どうしよう。博多から石巻までだったら飛行機のチケットが取れそうなの」

そんなメールがきたので、
「今回の災害はこれから私たちも共有していくべきもの。
また医療派遣が始まるかもしれないし、迷惑をかけないのであれば行けば?」と
返事をした3時間後、姉はもう福岡空港から東京に飛んでいました。
(へっ、今日の話をしていたの?)

勢いと強い思いだけは抜群のおねえちゃん。

短い日数ですが、そこで感じたことをメールしてきてくれたので転記させていただきます。
(いきなり行っても迷惑なのはわかっていて、
一応、先発隊や関係者に聞き取りをし、
研修医時代にお世話になった長崎大学派遣エリアなどを目指して向かったようです)

「まず、認知症などの問題…精神科医師と内科医の連携の必要性。
(今日は実際に被災地をめぐっている間は、電話の先に精神科の女医さんと
循環器内科の先生夫婦が待機していてくれて、安定剤、睡眠薬など
適切なものを教えてもらいました)。
仮設住宅への入居や自宅への帰宅に伴う医療事情の煩雑化が目立ちます。

南相馬の中学校は長崎大学担当で、その他整形の先生が往診していました。
血栓予防の体操やリハビリについて指導されていました
(私たちも準備していたリーフレットを持っていきました)

避難所の看護師さん・ヘルパーさんの体力的な消耗と、
責任の重さと孤独との戦い等の精神的ストレス…燃え尽き症候群の懸念……。

海岸部は倒壊した建物や船や車が散在(腐敗した海水の臭いが酷かった)、
船の着岸にはまず海底の清掃、陸から船に向かう道の確保!道がない!
相馬港では今の現状では無理。船の病院に向かう道すらない。
船が着岸できそうな海岸がない…瓦礫や車、ひっくり返ったままの船などで、
重機による片付けも1日ごく少しの面積しかできていない。
実際はボランティアは少ない!瓦礫撤去にしても進んでおらず。

ただし石巻に客船が来て、いろんなサービスをしたのは好評だったとか。
船で診療所やディケアができれば、みんな通えるのに。。

陸前高田市、気仙沼市は、まだまだ惨状、
医療従事者の関与も他のボランティアも不足。
水がなかったり病院に行けなかったり劣悪な状況!

いわき市は時間の関係で寄れず、相馬を回り
(相馬港を立ち入り禁止の場所まで行って観察しました)、南相馬に。

原町第二中学と第一小学校の避難所へ。
長崎大学、長崎市医師会からの派遣が続いていて、
交代で南相馬市立総合病院からきていた、
西 幸江ナースの緊張・疲れ・やり場のない(きっと泣きたい)思い…!!
原発から近いため、南相馬市立総合病院には患者さんの受け入れなし!!
相馬の病院まで重傷者は搬送とのこと。

某ホスピスの看護師長さんからお預かりした「Pray for happiness」という名の
アロマと、避難所等での体操やストレッチのリールレット
(字を読まなくてよいように全部写真で示されています)、
メンタルチェック表(うつ、不眠症、PTSDなど)を看護師さんに渡して、
身体に気をつけて、何でもできることがあったら言ってくださいと伝えました。
若い彼女の目には涙が見えました。看護・介護する方にも休憩が必要!

被災者のお宅にもうかがって深夜まで話が尽きませんでした。
大変なのにご自宅に招き入れてくださって感謝。
被災から十日ほどしてやっと音楽を聞き、
音楽の力の大きさに驚いた、毎晩歌を聴いて泣くけれど前向きになれるようになったと。

車が3、4台流されたのには全く動じていません。
遺体が下半身だけでも出てきて良かったと。。。。
家族全員みつからない一家も沢山ある。

ボランティアと被災者の感覚の違い…温度差…?
地震や津波を思い出させることを平気できいてくるボランティア、
耳に触るボランティアの笑い声。

まだまだ苦しみは続きそうです。
がんばろう…私は言えなかった。ただ握手をしたり肩を抱いたり」

以上です。被災地をめぐって、気持ちも頭もぱんぱんになりながら
すごい勢いで打ったメールですが……。

医療者もボランティアもいろんなシステムや手続きも
そうスムーズに調整はできないでしょうが、
ここからまた何か必要とされるものが、動けばいいなと思います。

更新のないままで、失礼いたしました。

3月11日の金曜日はのんびりした1日でした。
午前中はネイルに行って、午後は犬と代々木公園へ散歩へ。
戻ってきて、リビングにいるときに、地震が起きました。

我が家は低層マンションの2階&3階だったので、
家中にある本棚から本が飛び出し、本棚が倒れるくらいでした。
階段の前の本棚が倒れ、3階に上れませんでした。
3階にいなくてよかったです。。(右の写真は仕事部屋)

 

   

生まれて初めての地震にびっくりして、ソファの奥の奥に潜り込んでしまった犬に、
どうにかリードをつけ、余震におののきながら、ニュースに釘付けでした。
夜になると、電車が止まって帰れない人々がうちの近くの大通りを
もくもくと歩いて帰っていました。テレビとツイッターをじっと見ながら、
とりあえず、避難バッグを玄関において、その日は服を着たままリビングで
眠りました。

夜があけて、東北での深刻な被害が明らかになってきます。
どうしていいのかわからないままの週末。

犬は余震でご飯を食べなくなるし、とりあえず東京の郊外へ一時疎開することになりました。
仕事道具、本、着替えと食料を詰めて、車で福生のほうへ。
もう2年以上だれも住んでいなかったおうちにとりあえず、仕事道具をセット。
結局、ガソリンが普通に出回るまで、3週間の疎開でした。

地震直後から、海外の友人たちが心配して連絡をくれていたので、
メールやfacebookでこちらの、なんとか大丈夫な現状を伝えていました。
数人の友達からは「一刻も早く、東京を離れなさい!」という
ちょっぴりヒステリックなメールもありましたが、
「仕事に差し障りがなければ、ヨーロッパの、うちに泊まりにおいで。
リラックスできるよ」というやわらかい申し出があったりで本当に感謝でした。

15歳のときに長崎の我が家にホームステイしていた、
アメリカ人のアンジーという女の子は、
心配のあまり、25年ぶりに私を捜し当て、連絡をしてきてくれました。
そして「荷物全部まとめて、うちにおいで」と。。

まさか、と思うような人たちが連絡をしてきてくれたのは、
本当にうれしいことでした。

東京23区のほとんどは計画停電もなく、本当ならば渋谷に住んでいたほうが
楽だったかもしれませんが、疎開先では夜の計画停電もありました。
どんなに着込んでも寒くてパソコンを打つ指がかじかみます。
あまりの寒さに耐えきれず、必要もないのに、ガスを使って、
カレーを煮たりして暖を取りました。
まだ雪が降る3月、東北の避難所での寒さはどれほどだったことでしょう。

生まれて初めての停電。普通にあるものがない、という生活。
地震と津波という大災害と比べると小さいことでしたが、
私にとっては衝撃的な出来事でした。
でもとても貴重な体験でした。
「ない」ということを体験してはじめて、「あることがすごい」に気が付きます。

とはいえ、慣れない場所、慣れないおうちで、
なぜかちょうど締め切りもあったので、ずっとテーブルに座り続けた毎日。
この期間はいろいろ気が張っていたのですが、
週に一度、渋谷の家に帰ってくると、気が抜けて
涙がぽろぽろこぼれてばかりでした。

ちょうど桜が咲き始め、きれいな桜を見ても涙腺はゆるみ、
悲しいニュースはもちろん、いろんな国からの支援や救助隊のニュース、
地元の方や日本中の人の頑張りを見る度に、涙、涙でした。

ガソリン騒動も落ち着いて、とりあえず2週間ほどまえから
渋谷の生活に戻りました。
いろんなものが少しずつ前に進んでいます。

感受性やら思考やら行動が遅い私はまだもうちょっと
うるうるし、お仕事もなんとかギリギリでまわし、
これからどうしたらよいものか、
地震や津波や原発で起こったことに対してどうしたらよいか
まだぼんやりしていますが、
少しずつ、進みたいと思います。

いろいろとご迷惑をおかけしたり、心配をおかけした方々
すみません。そしてありがとうございます。

ギリシャ人のお友達から、私の好きなギリシャのお菓子「ハーヴァ」など
「ガンバレグッズ」が送られてきました。

20年来の友達ですが、Facebookは情報が漏れすぎていつか大変なことになると
言って、なぜかいつも電話派です。
「ギリシャは経済が破綻して大変なことになったけれど、
太陽と青い海はなくならないから、僕たちは大丈夫。
本当に大切なものが何なのか分かるようになったよ」と。


▲お菓子だけでなく、オリーブオイルやギリシャのお酒なども入ってます!

▲これが、「ハーヴァ」というアーモンドで作ったスイーツです。
これをかじりながら、またうるうるしてしまいます。

すっかり地震恐怖症になった犬ですが、少しだけ立ち直るのが早くなりました。
そして、ちょうど1歳になりました(わんぱくは変わりません)。

これからは、もう「今まで通り」ではありません。
でも、少しでもゆっくりでも「よい方向への、今までじゃないこれから」に
なるように、相変わらずのんびりと、頑張ってゆきたいと思います。

たくさんの、つらい思いをした方、している方と
一緒に進んでいけますように。

1月の南極クルーズは、「南極ってスゴイ」というのはもちろんですが、
なんたって、参加してらっしゃる平均年齢70歳の「スーパーシニア」が
スゴイ!です。

体力のない、未熟なわたくしが励まされ、
年齢を重ねるのを楽しみになった貴重な体験でした。

いつも私を旅に向かわせる「人との出会い」。
一緒に南極へ向かった、隊長の三浦雄一郎さん、旅行会社の会長、
料理の鉄人の坂井シェフ、そして参加者のみなさんとの交わりを
再取材をしつつ、月2回のウェブ連載でつづっていきます。

その名も
『南極ものがたり』です!

まだプロローグですが、写真もたっぷりなのでぜひのぞいてください!

タイトルは『南極ものがたり』ですが、
太郎と次郎、木村拓哉さんは出てきません。あしからず。

今まで、すべての人にお世話される側にいましたが、
豆柴の足袋くんがきてから、少しお世話をすることになりました。
とはいえ、ご飯をあげて一緒に散歩に行くくらいですけれど。

お風呂からびしょびしょのままあがってくる私の、
濡れた足をなめにわざわざやってきてくれるので
足袋も私のお世話をしているつもりだと思われます。
(彼の心情は「柴犬『たび』のブログ」
ときどき記しているようです)

去年5月の上の写真はまだ生後2週間くらい。
2カ月で家に来たときも咳はしているし、ちっこし、
おろおろな毎日でした。

しかし、いまや、大型犬用のドッグランに入れれば
大型犬にこてんぱに吠えられ、それでも精一杯立ち向かっていく
今日このごろ。
怖いときはベンチの下に隠れたり、人間の後ろに隠れる
処世術も身につけました(これ大事)。

『柴犬の育て方』の本はもやは部屋の隅に追いやられ、
マイペース対マイペースの変な生活が繰り広げられております。

これからも引きこもり&運動不足の私をせっせと散歩に
連れていってくれることでしょう。
変な犬と散歩したい方は代々木公園集合です~。

追伸:前回はしょんぼりなブログでご心配おかけしました。
いろんな方に支えられて、しっかりオランダまでお墓参りにも行って
大切な思い出にしていってます!

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クリント・イーストウッドの演出や脚本がよいからと、
夜10時からの上映を観にいった。
う~ん、そんな判断もできないくらい、どっぷりと
落ち込んで帰ってくる。

2人の登場人物が出会うロンドンのメイフェアホテル。
取材で滞在したときに、友人が訪ねてきてくれたのを
覚えている。テムズ川沿いを散歩して、
食事に出かけ、久しぶりにお互いにいろんなことを話し込んだ。

その一週間後、その友人は命を絶った。

仕事やプライベートの悩みはいつもメールでやりとりしていたし、
それに負けるような人じゃなかった。

遠く日本で、それもインターネットで訃報を知った。
20日間、連絡が取れず、見つけたのは訃報サイトに載った名前だった。
唯一、面識のある仕事のパートナーにメールを送っても
理由は分からないという短い返事しか帰ってこない。

何も分からないまま、1年間泣き暮らした。
なぜ何も言わずに逝ったのだろう。

死者からのメッセージを伝えてくれる方法を、
映画の子供のように私も探した。

死者との会話ができるという人に出会った。
「その人はすごい怒りの中にいて、話せない。
自殺じゃないんじゃないか」
そう言われた。

想像もしていなかった内容。自殺じゃないの?

今も真実は分からない。

思い出したように、仕事のパートナーにメールを書く。
「なぜ死を選んだのかしら」

そう聞く度に彼は沈黙する。

映画の中の霊能者は
「何でも知ればいいというわけではない」と繰り返した。

真実はどこにあるのだろう。
いつか本当のことを知ることができるのだろうか。

10数年前は中華街の一区画で小さくやっていたお祭りだった
気がします。

聞けば、知り合いのドクターやお仲間が中国に灯籠を
買い付けにいって、地道にはじめた町おこし。。。

それが今では100万人を動員するお祭りになった
長崎ランタンまつり。

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本格的な旧正月のお供え物。
ホンモノの豚がたくさん飾られてます~。ちょっとグロいですが、
ジロジロ見てしまいます。。。

ランタンまつりは、旧正月の2週間開催しているのですが、
基本的には華僑の方を中心としたお祭りです。

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灯籠を飾る場所やイベントをする会場も
どんどん増えていっていています。
開催は暗くなる夕方5時から10時までなので
2夜見に行かないと全部見れません。

今年はお正月に帰省できなかったので、
ランタンまつりの時期を狙って帰ってみました。
しかし、マイレージでチケットは取れないし、ホテルも満室!
うーん、うれしいような、悲しいような。

私が家に泊まると、
母がその前に張り切って掃除をしすぎ、体調を崩すので
最近はホテルに泊まってましたが、今年は実家にステイ。
(大変だったけど、準備が楽しかったようです。
今度からやぱりおうちに泊まろうかな~犬は大丈夫かな~)

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ヨカッタのは、唐人屋敷跡めぐり。
500円でろうそくを4本もらい、近くの唐寺を4カ所巡ります。
長崎に18歳まで住んでいたのに、こんなところにこんなに多くの唐寺があるなんて!
宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」みたいな場所が趣あります。

中華街はまたにぎやか。短い通りですが、人だらけで
なかなか進めないので、ちょうど良いです。

幼稚園の頃は中国からの生徒もけっこういたのですが
(長崎大学の医局にお父さんが留学してらっしゃる)
中学、高校は若干、華僑の子がいる程度だったので
ピンとこなかったのですが、思ったより、長崎には中国文化が
根付いているようです。西洋だけじゃないのですね。

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日中はアーケードで皇帝パレードなどがあります。
私もチャイナ服着たいかも。。

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中華街からはちょっと離れていますが、眼鏡橋の周囲も
ライティング。水面に白鳥や蓮も浮いています。
母はお昼しか通らないので、「ハリボテが置いているよ」と
言っていましたが、意外に雰囲気がよいです!
川に下りられるのもよい。。

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混むし、夜だしで、地元の人は行ったことがない人もいます。
両親もちゃんとみたことがないらしいので、
2日目はふぐを食べに行って、帰りにお寺と孔子廟のライティングを
一緒に観ました。

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4月はチューリップまつり、初夏に帆船まつり、夏はお盆、精霊流し、
秋はおくんちと、なんだかイベントだらけ。
実家が観光地だと、帰省するのもなかなか楽しいです。
飛行機だけなんとか安く取れれば……です。

準備を手伝ってくれたり、何度も遊びにきてくれた、
2番目と3番目のお姉ちゃんに感謝~!

at6南極クルーズといってもルートはさまざま。
南極海をかすめるだけのクルーズもありますし、
天候を見ながら、南極の島々や大陸に立ち寄るクルーズもあります。

「クレリアII」ではエキスパートの船長や航海士が協力してくれて、
さらに奥の南緯66度33分の南極圏を目指しました。
天候が悪いと、スケジュール的にも諦める必要がありますが、
晴れ男晴れ女が集まったのか、連日の晴れ!

1月20日の朝7時には南極圏到達を祝して、デッキでシャンパン!
盛大にお祝いです!
(船に乗っている科学者の方たちもGPSの66.33を片手に記念写真!
それほどラッキーなことらしいです)

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本当は南極圏のどこかに上陸をさせてくださろうとしたらしいのですが
適当な上陸ポイントがなかったとのこと。。。
そんなとき、このアザラシを見たのでしょうか。。。

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このペンギンたちに刺激されたのでしょうか。。

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私たちも流氷の上に上陸させてもらいました~。

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これ、けっこう危険で、50人を少しずつ乗せて記念撮影している間に
流氷が2つに割けること2回。。。
割れたら、新しい流氷をエクスペディションチームが探してくれました。。

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三浦雄一郎体長と坂井シェフと流氷の上で貴重な記念写真!
シェフはコックコートですよ。。(そんなに寒くないのです)

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↑大人の遊び、贅沢すぎます。

まわりには青く美しい流氷が……

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船に戻る途中、紳士の方々が流氷をピックアップ。。。

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もちろん、2万年前の氷でこれを楽しむためでありました。
20キロの氷を引っ張り上げるのは本当に大変なんですが、なんのその!

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翌日はポート・ロックロイ島という観測地へ。
第二次世界大戦中は英国が密かに基地を作って場所だそうで、
現在は観測基地になっています。さらに昔の越冬の生活の様子を
紹介する博物館と南極唯一のお土産屋さんがあります。
(研究員が基金のために、店番を交代でやっているのです)

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ポストもあって、英国経由ですが、郵便も出せます。
ポストの写真コレクターの私にはたまらない場所です。ふふ。

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もちろんペンギンもいますよ~

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残念ながら、どうやら天気が崩れてきているとのこと。
日程を1日半早めて、この日の夕方にはドレーク海峡に向かうことに。。。
残念ですが、安全のためには天候と相談するしかないようです。

(他の客船も慌てて、一緒に大陸に向かうほど、危機一髪でした。
12月には「クレリアII」は大波で操舵室のガラスが割れたことがあり、
正しい判断をしないと、本当に危険と背中合わせなのです)

揺れる前に坂井シェフの、2回目のディナーがありました。
やさしいフレンチがお腹にしみます!

また、このクルーズですばらしかったのは、
三浦隊長の講演が聞けたり、ラウンジで普通にお話できることでした。

さらに、三浦隊長の北海大学時代の親友で、今はアメリカにお住いの
本庄先生という海洋学の権威(ノーベル賞級の研究をされてる先生)も
同乗してくださって、講演やいろんな質問に答えてくださったことでした。
三浦隊長の奥様、本庄先生の奥様も学生時代からの仲間とのことで、
まわりを和ませ、爆笑のお話をたくさん披露してくださいました~。

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↑ 知的好奇心と“年齢で諦めない”ことを教えてくださったお二方!
78歳でも現役で世界の舞台に立ってらっしゃる親友同士です。

さらに今回、南極上陸の注意や動物についての講義などは
三浦隊長のお嬢さん、エミリさんが大活躍。すばらしい通訳とリーダーシップと
心遣いでみんなに頼られてました! とても美人さんでもあります~!

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さて、船はドレーク海峡を北上していきますが、
夜から揺れ始めました。普通に寝ていると、ベッドから転げ落ちそうです。
みなさん、壁に足を上げてつっかえ棒にして耐えたそうです。

ちなみに、今回のお部屋はこんな感じ。

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ウォーキングクローゼットもあって、広いです!
でも、ドレーク海峡を通った朝、目が覚めたら
机の上のものは全部、床に落ちてました。。。

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波の高さは4メートル。でも船が小さいので、すごいです。。。
椅子をつかんで、椅子とともに転倒された方や
チェーンで留めている椅子に座っていたら、チェーンが切れた方も!
厨房も全部紐で結んでいますが、皿が割れる割れる割れる。
コックさんたちにやけどの痕が多いのもわかります。

私は探していた、酔い止めパッチをフィリピン人シェフが
こっそりくれたので、帰りはなんとか酔わずに過ごしました。

しかし、揺れ続ける2日間。耐えるしかありません。

(まったく平気でお食事もぺろっと召し上げる方と、
客室から出て来れなくて寝たきりの方もいました~)

南極が人を寄せ付けない理由はこれで、
でもだからこそ、南極の自然は守られてきたのですね。

この景色を見られたことを思い出せば、揺れだって我慢できます!

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アラスカもすばらしい自然ですが、規模は南極が100倍くらいでしょうか。

1日早く、ウシュワイアに着いたので、観光をして、
翌日、飛行機でアルゼンチンへ

夜は、タンゴが見られるレストランで、アルゼンチンのステーキを
いただきながら、ショーを鑑賞。
今では観光客用なのかもしれませんが、こんなダンスが
街角で生まれる街は素敵ですね。

帰りも再び、ブエノスアイレス~ローマ(14時間)、
ローマ~成田(12時間)の空路。
時差はちょうど12時間だったので、
時差ボケと南極ボケ(現実社会にもどれません~)が
けっこうありました。。

しかし、思いがけない、すごい体験でした。
関係者のみなさまに感謝!です。

1月6日にLAから戻って、12日にはまたパスポートを持って空港へ。
そうです、去年、船の故障でキャンセルになった南極クルーズが
今年実施されるのです!

しかし、遠いです。
まず成田~ローマ。ローマ~アルゼンチン(ブエノスアイレス)。
そこで1泊して、なぜか対岸の国、ウルグアイを表敬訪問。
アルゼンチンのステーキを食して、他のツアーのお客様と合流。
ブエノスアイレスから最南端の町、ウシュワイアまで3時間。
飛行機だけでも32時間くらい乗ってました。ぜー

船はほどよいサイズでシックな「クレリアll 」(5000トン、70人乗り)。
今回はグローバル・ユース・ビューローさんが力を入れて企画したツアーです。

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企画した同社会長は御年70歳、今回の隊長は冒険家の三浦雄一郎さん(78歳)、
ゲストシェフは鉄人の坂井宏行シェフです(67歳)。
このキーマンたちに負けず、参加者の方々も89歳を先頭に平均年齢70歳!
「船酔いした」「疲れた」とかぜったい言えない環境です……。

まずは悪名高きドレーク海峡を渡ります。波は2~3メートルらしいですが、
4分の1くらいの乗客がダウン。私も1日ダウンしました。

2日間のドレーク海峡を耐えると、南極に出合うことができます!
見たことがない世界が、人が住まない世界が見えてきました。

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1月18日、2日ぶりに陸地を踏みます。
ブーツを消毒し、自然の専門家が見つけやすいように、
皆お揃いの赤いパルカを来て、小さなゴムボートでペンギンの大営巣地に上陸です。

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ひえ~ペンギンだらけです~。動物園もびっくり。

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午後にはもう一カ所。いずれも環境保護のため、1時間弱の滞在です。
ペンギンから5メートル以内には近よってはいけません。おそるおそる歩きます。

船内では南極にいるにしてはなかなかおいしいお食事が出ていましたが、
このクルーズ中は2回、坂井シェフのディナーがあります。
いつも仕事で、いろんな客船に乗っていただいているので、
私もエビの背わた取りなどを手伝います。“南極のお料理学校”。。。

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材料や調理器具は揃いませんが、福岡店のシェフと
坂井シェフの息子さんも同行しているので、総力を挙げて頑張ってます。

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お客様も南極で鉄人のお料理が食べられるので、大喜びです!

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翌日はネコ・ハーバーという湾のある島へ上陸。

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そして南国育ちの私が見たことがない雪山が!
山の上に小さく人々が見えます~。

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当たり前のように、雪山を登っていきます。平均年齢70歳ですよ!

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でも三浦隊長が一緒だから、なんだかうれしくて頑張ってしまいます。
三浦さんのお知り合いの方もかなりいらしたので、
エベレストに上ったことがある方も普通にけっこういらして、ビックリです。。。

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下りはお尻で大滑降! あの高さを滑るのですからただごとじゃありません。

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でも楽しくてちょっとやみつき。登りたくないけれど、滑りたい……。
大人の、贅沢な遊び道具、滑り台です!

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再び船にもどり、ルメール海峡と呼ばれる美しい海峡を
航行し、景色を楽しみました。

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後半に続きます。

もうすっかり2月も後半でございます。
新年のご挨拶もできず、3月に突入です。。。。

12月は大晦日の夜に羽田新国際ターミナルへ。
夜中の12時05分の便なので、空港もがらんとしていて、
さんざんニュースでやっていた楽しそうなお店も全部閉まってます。。。
そんなああ。

気を取り直して、機内へ。荷物をしまって、えっと、えっととしている間に
新年迎えているではないですか。。。。がーん。機内放送くらいしてくだっさい。

向かう先はLA。16時間の時差があるので、2回カウントダウンができます。

空港からタクシーでホテルへ。今回はSLSホテル ビバリーヒルズ
という
ホテルに4泊です。もと日航ホテルだったらしいですが、
今は有名デザイナーが手がけたおしゃれなホテル。

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↑エレベーターの内装からして、こんなデザイン。
誰が乗っているのかビビります。4台あるエレベーターの写真は
全部違うので、お気に入りができてきます。

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お部屋もシンプルで完璧なデザイン。バスルームからベッドが見えます。
うーん、自分の家だったらこんなデザインにはできないだろうなあ~。

ラウンジや屋上のプールも素敵。
寒くて泳げませんが、 プールサイドのカバナでは、
マッサージも受けられます~。

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夕方着いて、軽く夕食を食べ、夜は別のホテルのオープンエアのバーへ。
毎年いろいろカウントダウンの場所を模索しているわけですが、
LAはけっこうみんなクラブなどでカウントダウンする人が多いとか。
前もって勝手もらっていたチケットを持ってGO.

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ライブやDJの音楽で時間待ち。そしてハッピーニューイヤー!

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時差ボケているので、カウントダウンしたらとっととホテルに退散。

でも翌朝は日本から持っていったおせち料理をしっかり!

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米国で弁護し試験を受けているRちゃんと3人で食べ尽くしました。。。
やっぱり日本人のお正月はおせちです!(注文したやつだけど)

お昼からはお仕事でお世話になっているT会長が
すばらしいスピードでLA観光に連れていってくれました。
天文台からの、LAのお正月!快晴!

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恥ずかしいですけど、チャイニーズシアターにも行ってなかったので、
一応、ジョニー・デップさま(偽)と記念写真。

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LAに行くと言ったら、「In-n-Out Burger」という
西海岸周辺のハンバーガーチェーンにぜひ行くべし!というお勧めが……。
夜中タクシーで移民の多いエリアのお店でこれをかぶりつく。
Facebookに書いたら、あっという間に
サンディエゴからシアトルまで「おいしいだろう!」とファンたちの声が
ゾクゾクと寄せられました。そんな人気なんか~!In-n-Out Burger…

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ちょっと雨が多かったのもあり、比較的のんびり。
食事はホテルの前の「権八」やT会長お勧めの「KATSUYA」へ。
(ノブさんの「MATSUHISA」もホテルの近くでしたが、休業日)

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上の「KATSUYA」はLAに4軒ほどありますが、スーパーおいしいです。
今でもここのご飯を食べるためだけにLAに行きたくなるほどです。
独特なアレンジの日本食。でも日本人も受け入れられる味です。スゴイ!
LAでけっこう注目のレストランらしいです。
日本でにも出店してくれないかなあ。

最終日はサンタバーバラへ。これは途中のマリブにあるレストラン。
日本にこんなレストランがあったら、激混みですね。
海岸線独り占め~。

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LAは仕事で来たりするけれど、今一歩つかみにくい場所だったのですが
T会長のすばらしいガイドと説明で理解が進みました。
遊びにくる街というようりも、住むと快適という場所なのですね。
ある程度お金があれば、すごく楽しい街。。
(NYとかと比べるとちょっと大味な感じですが、
この天候と広々感が魅力的なのかと)

うーん、ちょっと寒かったので、今後は暖かいときに
小金持ちになって来ましょう。。。

プチ家出から始まった2010年は本当にいろいろありました。

編集部を卒業し、長い充電生活を開始(復活は来年くらいで(笑))。

柴犬のたびくんが家に来て、初めての犬との生活。

イタリアに亡命したり(?)、そうそう視力もよくなりましたね。

合間、取材もあれこれしつつ、仕事もしつつ、プライベートでも

あれこれありました。ほう~。

 

もうどうなっちゃうのかしらんという感じでしたが、

本当にまわりの友人に救われ、元気になり、

このまま恐ろしいほどパワーアップしていきそうな勢いです。

ピンチがチャンス。うん、うん。

 

あと4時間で飛行場へ。カウントダウンは機内の中。

年が明けた12時05分にテイクオフ!です。

なかなか素敵な1年の始まりです。

このままジェット気流に乗って飛び出してゆきますよ。

みなさん、ついてきてね~。

 

ひとまず、なぜかLAでお正月ですが、

2011年はともにかくにも元気に楽しくハッピーに

あれこれしていきます。

 

だらりんな1年で、年賀状も月刊クリスマスの発行も、

5年前の確定申告も、ちゃんとしたご挨拶もできませんでしたが、

来年こそは~。

 

みなさま、本当に1年ありがとうございます。

かつてなく、助けられ、元気をもらった1年でした。

来年ももっともっと仲良くしてください。

どんどん遊んでくだっさい。

 

さて、年越しそばくらい食べてからまいりましょう。

 

みなさまもよいお年を。

 

愛を込めて。