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4年ぶり?

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4年ぶりの投稿になります。
何やっているんでしょうか。
2015年の7月から10ヶ月間は、古巣の『CRUISE』編集部に
産休が出たため、代打で働いていたので仕方ないのですが
Facebookに日常のUPが移ってしまったのが大きな理由でしょうか。

元気です。小さい病気や蕁麻疹に悩まされてますが元気です。

豆柴たびくんももう6歳、ますますやんちゃです。

できてから、もう3年以上経ったログハウスも全然登場してませんね。
今度ゆっくり紹介します。すでにどんどん変化していってます。

15年近く住んだり、事務所に使っていた代々木のマンションも
2015年の夏に400mくらい移動して、初台駅近くに移動しました。

少し狭くなりましたが、駅まで3分くらいなので
電車を使うようになりました。

編集部を辞めて、10キロ太ったのも、炭水化物抜きダイエットで戻りました。

2016年4月末で終わるはずの編集部の代打ですが、もうひとり、
編集部に産休が出て、2ヶ月だけお休みして、7月からもう10ヶ月代打が
決まりました。明後日から仕事です。

何やってるんだろうーと思ってますが、ニッチな業界なので
代打選手がいないのです。2010年に無理無理、辞めて、今の編集長に
押し付けてしまったので、できることがあればせめてお手伝いできる部分は
頑張ります(出社時間や在宅もできるので)。

いろんなブログも頑張りますね。たびくんはインスタ #たびくん でやってます。

Facebookは知り合いの方に限定しているので、ブログ頑張ります!

お船はまだ乗ってますよ!

年を越し、長らく時間が空いてしまい、さらにこんな事故についてのブログとなりました。
「豪華客船、沈没」「タイタニックから100年後の13日の金曜日」「船長が先に避難」など
いろんな報道がされました。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。不明者の方、事故理由も早くわかりますように。

クルーズ業界も私個人もかなりびっくりした事件でした。
そしてびっくりしたのがコスタ・コンコルディアを「豪華客船」とシャウトする報道、
次にショックを受けたのは「豪華客船での旅をするならある程度のリスクは背負わないと」など
お金持ちを想定した乗客への冷ややかな嫌味、
「救命ボートが錆びていたらしい。クルーも逃げた。片手間の仕事らしい」などの
根も葉もないコメントの数々でした。

そもそも今回の客船は、報道でもあったように、
日本からのツアーが7泊のクルーズと飛行機代込みで18万円から。
クルーズだけなら700ドル(5万6000円)くらいからです。スイートルームでも20万円(1週間ですよ)。
世界に400隻あるといわれる客船の中で、松竹梅なら梅、
ラグジュアリー、プレミアム、カジュアルなら「カジュアル客船」のカテゴリーに
属します。1泊8000円~2万円(食事、エンタ、移動費込み)で
陸のホテルに泊まって旅するよりもかなり安く旅行ができます。
アメリカやヨーロッパでは「安く旅行するならクルーズ」という認識なので
日本の報道とはまったく違う扱いです。

私もコスタ・コンコルディアと同じ形の船、「コスタ・セレーナ」に乗りましたが、
まだ金銭的に余裕がないイタリア人カップルの新婚旅行、
つつましく暮らしているご夫婦の記念日の旅行、
子連れ(子供は同室2人まで無料)のファミリーと実に庶民派クルーズです。
私はイタリア人の大工さんで結婚記念日で乗っているご夫婦によくしていただきました。

もう一つ、誤解で悲しかったのはクルーの避難訓練についてです。
「乗船していた約1000人のクルーのうち、大半がサービスやエンタ担当だった」と
言われていますが、それは事実です。ホテルと同じ機能を持つので
ウエイターや客室係、エンターテイメントにつく仕事のクルーは多いのは当然です。
船の安全を守るのは船長以下航海士や機関士たちがあたります。
(基本的に航海士は少数精鋭のエリートです)

ただ、すべてのクルーは定期的なクルーだけの避難訓練(実際に救命ボートを下して
動くかも確かめます)を行い、乗客との避難訓練のときには全員で誘導を行います。
法の上でこれらの訓練を行っているので、これは紛れもない事実です。

ただ、今回のように船が傾いてしまったために救命ボートが降りてこなかったり、
急な事故のため、パニックになったクルーがいたのも事実でしょう。

私は今まで100隻近い客船やフェリーに乗ってきましたが、
どんなに気候が悪くて揺れたとしても、船を危険だと思ったことはありませんでした。
出航する港にやっとこさ着いて、船に乗ったのに、避難訓練が毎回毎回あるのを
憎々しげに思っていたほどです。

唯一、「海は怖いんだ」と思ったのは南極クルーズでした。
ベテランの船長が天気予報を確認し、南極から南米アルゼンチンへの帰路の
日程を早めて、嵐に追い立てられるように戻った時です。
ドレーク海峡という悪名高き荒れる海峡を揺れながら戻りましたが、
揺れるということよりも、「日程を変更してまで帰路を急ぐ」ということに驚き、
探検船という特殊な船でも自然には対抗できないのだという畏怖を感じたのです。

そのくらい安全性を信じていましたが、
今回、私もクルーズ関係者も教訓を得ました。
経済性を優先して大きな船をすごい勢いで造りすぎたのではないかと。

安いクルーズですから、船をたくさん造り、乗客をたくさん乗せないと
利益はあがりません。また大きければ派手な施設も造れ、PRできます。
船が増える分、船員がどんどん必要になり、
船長を含め、船員の質の低下を招いたのではないかということです。

楽ちんで、快適で、船上で友人もたくさんできるクルーズという旅の形を
日本人の方にもっと知ってほしくて、様々な形で紹介したり、勧めてきました。
まだまだ「高い」「揺れる」「退屈」などたくさんの誤解があるクルーズですが、
少しずつクルーズに参加される人も増えてきたところです。
そんなときに、私たちは安全性などについてももう少し考え、
確かな情報を伝えていく必要があったのではないかと反省しています。

船長の逃亡劇でまだまだネタを提供してくれそうな今回のコンコルディアの
事件ですが、根本的な問題にメスが入れられ、改善し、
そしてまた多くの方が快適にお手頃にクルーズを楽しめる日がやってくることを
望みます。

今回のような事故原因は許されませんが、
歩いていても、車でも、電車でも、飛行機でも事故にはあいます。
船の事故率(助からない率)というのはかなり低いほうです。
そんなこと、ニュースでは誰も言ってくれませんが、
私はこれからも、いろんな客船で旅をしつつ、クルーや乗客、
訪ねた土地の人との出会いを楽しんでいきたいと思います!

そして今までは「楽で便利で楽しい乗り物」でしたが、
海という自然の中で旅をさせてもらっていることを意識し、
安全に航海させてもらえることに感謝し、
海と近い旅をしていることを楽しみたいです。

追記になりますが、コスタ・クルーズはヨーロッパ人の乗客が多く、
船内放送では5カ国語以上の言語で行われます。
イタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、英語、そして
他の国からの乗客が多ければ、その国の言語も加わります。
事故時の問題として、英語が母国語でないクルーが多いため
コミュニケーションができず、事故が大事になったり、誘導ができなかったりします。
国際海事法では英語を基本としているので、その指導も厳しくなることでしょう。
乗客も、いろんな国のクルーや乗客と出会えることはすばらしいことですが、
私たちができることとして、万が一のために少しでも緊急用の外国語を
かじっておくのはいいかもしれません。
(私がイタリア語を習い始めたのは、このコスタ・クルーズの船で
イタリア人乗客と意志の疎通ができたらもっと楽しかろうという思いからでした。
全然上達してませんが)

コスタ・クルーズの場合、英語は5番目のアナウンスになるので、
それを待たずに、ほかの言語をキャッチすれば行動は早くなります。
と、これまた自戒を込めた気づきでした。

秋も深まる今日このごろ。
夏休みの宿題はあれこれ終わらないまま、もう10月です(涙)。
忘れないように、2011年夏を駆け足で。

かつてなく、盛りだくさんだった夏休みは、7月初旬からはじまったから。
これ、イイです。「7、8月は頑張って9月に休みを取ろう」というより、
7月に取れば、さりげなく、8月、9月にも夏休み取れるかもです。

しかし、ブログが止まってしまったのは、facebookにちょろちょろ写真をUPしていたのと、
最初のバケーションがクルーズだったからなのでした。
クルーズになると、どうしても仕事モード。ブログ用に写真をピックアップするのも
ダルくなったりします。

とはいえ、今回は仕事3割で、7割がバケーション。
船はラグジュアリー客船の新造船「シルバー・スピリット」。
乗ってみたかったお船です。
今までの4船よりもかなり大きくなって、若いエグゼクティブなカップルに似合いそうです。

ローマ発着だったので、ローマで1泊。時差調整のために1日早く行って、
スペイン広場近くのお宿にステイ。翌日の乗船は何時でもよいので、
翌朝はお買い物したり、行ったことのなかった(!)バチカンへ。
暑くて、人いっぱいです。とんでもない行列に並ぶ元気もありません。
「ここが『ダヴィンチコード』のね~」と流します。。。

ローマから外港のチビタベッキアへは初めて電車で。
テルミニ駅からチビタベッキア行きの電車は追加で作ったような端っこのホームから出ます。
15分後くらいの電車の券を買ったら、死にます。ホームがなくて走ります。
30分後のを買いましょう。教訓。
そしてチビタベッキアの駅は小さく、電車の到着時刻もいい加減なので、
iphoneのgoogle mapが役立ちました。

今回はあちこちめぐるクルーズでなく、ソレントに沖留めが2日間、
フィレンツェの外港リボルノ、そしてコルシカ島に行ってローマへという南イタリアのゆったりコース。
と思いきや、ソレントからはアマルフィ海岸、ポンペイ、カプリへ観光に行くことができます。
ソレントでのんびりそぞろ歩くだけでもいいのですが、貧乏性なのでそうは行きません。
仕事的には3カ所とも押さえておきたいところですが、
今回はポンペイとアマルフィーにしました。
ポンペイ遺跡は、埋まっていたことをのぞけば、ローマ市街やアテネの遺跡と
あまり変わらず、といいいますか、すごい気温でもう思考能力が奪われていきます。

体にミネラルウォーターをかけながら歩きます。
日陰はほとんどありません。あると出れません。写真上 ↑

アマルフィー海岸は途中の、ポジタージュという断崖の街が景色よいです。

長崎も坂ばっかりだけれど、ここもロバを使うのかな~。
アマルフィーも同じように断崖にできた街(その手前に海岸)なのですが、
完全に観光地。ただ、街を守るための城壁や迷路のような街は
やっぱり楽しいです。 「世界ふれあい街歩き」状態になりながら歩きます。

NHKといえば、エルムンドの火曜日レギュラーの編集者(コラムニスト)の
中村孝則さんも同じ船に取材で乗ってらして、NHKの若手クルーと撮影頑張ってました。
あとで放送をみたら、小物や服など持ってきてらっしゃったものが半端なく多く
びっくりしました。船上でお茶まで立てて、まわりを盛り上げてます。

「ディナーのシーンを撮りたいので、参加して」とのお誘いをいただいたものの、
とっても手を抜いてきていた私はフォーマルなドレスもちゃんと持ってきてなくて
慌ててコルシカ島で買いました。。。しょぼん。

今回、意外性があって楽しかったのがこのコルシカ島です。

シシリアのすぐ近くにあるのに、フランス領で、今回、船は南のボニファシオという港へ。
ごてごての南イタリアからいきなりフランス。不思議です。
海は青く、地形もフクザツで眺めるのも、探検するのも興味深いです。
プライベートヨットで海遊びに来る人が多い感じ。
ただ、町自体は観光で持っているので、冬はがらんとしてるのだろうなあ。

船内ではバトラーもいて、ルームサービスで何でも食べられ、
(シャンパンやアルコールも飲み放題なのに、下戸で残念すぎます)
スパもいい感じです。

メインダイニング以外のレストランが5つあるので、全部行けないのが残念でした。。。

そんな素敵な船内生活を送っていたのに、
去年、滞在していたボローニャのアグリツーリズム(半農半ホテル)のフェデリコから
「ノブコ、今どこかい? うちにプールができたよ」とのメール。
(まさか私がイタリアにいるとは知らないフェデリコさん)

いきなり1泊分の準備をして、「ちょっとお泊まりしてきますので、リボルノで
下りて、ローマに戻ってきます」と下船。
フィレンツェに1時間ばかり寄って、さらに2時間かけて
フェデリコのお宿に向かいました。
ほ、本当だ。去年は畑だった裏庭にプールができてる!

実は去年、「プールを作ろうと思うんだけど」とフェデリコに言われたものの、
「えー、プールなんてなくていいよ。ここは十分居心地がよくて楽しいよ」とお返事していたのですが、
プールいいです。夕方からずっとプールに入りっぱなし。頑張って掘ったそうです。
手伝えなくてごめんね。

伺った水曜日はフェデリコのお宿は夕食がない日(フェデリコの休みの日)なので、
困っていたら、わざわざイタリア人の友達を呼んで、持ち寄りのプールサイドパーティを
企画してくれました。
英語が分かるのはフェデリコだけなので、ちょっと不便ですが、
みんなでギターを持って歌っていたり、分かりやすくしゃべってくれるので
本当に心地よいボローニャの夜。ありがとう、フェデリコ。

去年、編集部をやめてヘロヘロになってたどり着いたのがフェデリコのお宿でした。
畑をいじり、丘を登り、フェデリコのお料理やお肉をたくさん食べ、復活していった私。
今年は元気な顔で訪ねられてよかった(それも当日に連絡して)。
今では、私の大切なイタリアのおうちです。

ボローニャはパルマと同じエミリア・ローマ州にあるので、帰りがけに旧市街の市場に寄って
パルメジャーノチーズの巨大な固まりを3つも買い占めてきました。

日本で買ったら、200グラムで1000円くらいなのに、この固まりで2000円くらいです。ふふ。

ということで、ローマに戻って、スーツケースを置いたままのお船へ戻り、最後の夜を過ごしました。

もっと大きい船だったら、勝手なオーバーナイト(船を一旦下りて他に泊まること)は
面倒だったかもしれませんが、さすがのシルバーシー。
大人の船で、すぐに手配してくれたことに感謝です。
本来はこの自由さが船旅なのかもしれません。

海も船も陸も食も、満喫して、帰国。
でもまだ7月17日! 夏休みはまだまだたっぷりあるのでありました。

ふらふらと放浪する割に、住む場所はあまり変えません。
日本だけなら5カ所。大学時代はキャンパスが変わるので2か所、
就職してからは1度引っ越しただけ。
今の渋谷にはなんと15年住んでます。
ふうてんのトラさんも、ふらふらしているけれど、
帰るおうちは一つですからね。

家を建て直すなどで、一時的に引っ越したことはあります。

5歳のとき、実家と隣の病院を一緒に建て直したので、
先にできた病院に、家族と住みました。
これはかなり強烈な思い出。

2番目の姉は個室の病室を与えられ、
一番上の姉は受験中なので、大部屋を一人ゆうゆうと。
私と3番目の姉はまだ小さかったので
父と母と大部屋暮らし。

できたばかりとはいえ、ベッドも入った病院(19床なので厳密には診療所)。
みんなで4階の大風呂に入りに行って、
帰りがけに3階の厨房で、プラッシーを飲んで帰るのです。
お歳暮にいただくプラッシーは夢のようなジュースでした。

そのうち、隣の家もできたのですが、病院好きな私は
病気をもらうからと、連れ戻されても連れ戻されても
病院に遊びに行くのです。
受付で看護婦さんたちに遊んでもらったり、
院長室で医学雑誌を眺めたり、レントゲン室で父の頭蓋骨を
生で見せてもらったり……。
私の庭は平和公園、テーマパークは病院と行っても過言でありませんでした。

そしてそれから三十余年が過ぎ、再びクリニックの二階に居候しております。

地震があってから、旦那さんの仕事場と実家のある福生近くのおうちで
過ごすことが多かったのですが、
築30年の、持ち主のいなくなった実家(義父は2年前に亡くなりました)は
鉄筋で大きくて、どうしていいかわからない感じ。
リフォームするかどうか、考えていたころに、
「小さくて、木でできたおうちをつくろう」ということになりました。

30年間の生活がたっぷりつまったおうちのお掃除をすること1年。
骨とう品屋さん、リサイクル家具屋さん、フリーマーケット出店、
ブックオフ、あちこちのバザーに活躍の実家の母の助けを借り、
なんとかおうちも空になりました。
これから解体して、小さなおうちに生まれ変わります。

そして、仮の住まいは歩いて200メートルのところにある
旦那さんの診療所の上。急きょシャワー室を作りましたが、
キッチンもダイニングも寝室もあり、生活が始まりました。
放浪者なので、新しい空間への適応力は大丈夫。

月~木をこちらで過ごし、木~日を渋谷で過ごす2重生活が
本格化です。

基本的に原稿はどこでも書け、打ち合わせも月~木は
メールと電話でこと足りるので、大丈夫です。

ちょっぴり緊張しているのは環境。
長崎は地方都市ですが、大きな道路に近く、車や観光客の多い場所でした。
渋谷のほうが閑静な住宅地ですが、新宿、原宿、渋谷がすぐそこ。

目の前に山が広がり、空がたくさん見える新しいこの環境は
ちょっと今までと違う体験。
ですが、親身になってくれる大工さんや下で働いてくださっている
スタッフの方などのお気遣いをうけ、
ゆっくりと「畑&山ガール生活」が始まりました。

今年はいつもより蚊にたくさん刺され、蝉の死骸をたくさん見ました。

ゆっくりマイペースで慣れてまいりましょう。

南イタリアクルーズから帰ってきました。
また、そのことは後日、ゆっくりと……。

さて、フジテレビ系列で「ロック ~わんこの島~」の映画が始まりました。
GW前、「島でね、船で行く取材でね、犬の話だからね、一緒に行こうね」と
幼なじみの編集者がとても自然に誘ってくれるので、素直に「うん!」と返事をして
三宅島に向かいました。

約8年前、東京都の仕事で伊豆七島に、ジェットフォイル、フェリー、
飛行機、ヘリコプターとあらゆる手段で、取材に行って島紹介のムックを
作ったのですが、当時、三宅島は噴火で全島避難中。立ち入り禁止でした。
これは伊豆七島をコンプリートするまたとないチャンス!

夜22時に出るフェリーで約6時間。三宅島に早朝到着。
ロックという犬を飼っていた民宿夕景のご主人が迎えに来てくれていました。

ロックは雑種の白い犬ですが、4年半にわたる全島避難を体験し、
島に戻ってきてからは、飼い主や島ののんびりムードの中、
首輪もリードも付けずに、島をてくてく歩き、行きつけのスーパーや
レストランでご飯をもらったり、観光協会に応援に行ったりした
島の人から愛された“のら犬系”の犬でした。
(のら犬写真家を目指す私としては興味津々!)

フジテレビの目覚ましテレビ「今日のわんこ」に登場してから、
ブログも有名になり、なんと映画化が決まったのです。
残念ながら本物のロックは昨年の夏に、撮影を見ずして亡くなり、
私たちは本物ロックの足跡をたどりながら、
映画のオフィシャルブックの取材を始めたのでした。

(映画の内容に加え、三宅島の魅力や本物ロックの様子、
そして目覚ましテレビに出たロックのDVD付きという豪華版の本が
絶賛発売になりました~。犬好き、島好きの方、よろしければぜひ~)

ところで、本物のロックですが、
ふうてんの寅さんみたいな、あまり家に帰ってこない、
そして、行きつけの所にも、ひょっこり現れるロックなので
「死んだ気がしない。また戻ってくる気がする」と島民のみなさんが
口を揃え、ロックに愛情たっぷり。

ふうてんの犬さんの割には、人間くさい瞳で、犬好きなら
ころっと心奪われてしまう犬だったことは生前の写真や島民、飼い主の方の
お話からすごくよく分かります。

映画はある程度脚色され、子供でも観やすいものになっています。
(映画は内容というよりも、当時、あまり深く考えなかった三宅島の
噴火が、島民の方の生活や人生にどれだけ負担をかけたか知ることができます)

全島避難が解除になってまだ7年。火山灰や火山ガスと戦いながら、
ライフラインや生活ベースを築くので精一杯ですが、
火山の島が作り上げた美しい島の形や海(ダイビングのナイススポット!)があり、
観光業の復興もじょじょに進んでいくでしょう。

私ものら犬系ロックのかわいさにすっかりやられてしまい、
ロック&三宅島を少しでも応援したいと、友人の手を借り、
自分も内職して、この夏、再び三宅島に行く予定です。

映画を観た方も観てない方も、ぜひこのオフィシャルブックを手に
のら犬ロックが歩いた三宅島を訪ねてみてください~。

あれは去年も終わりのことでした。
知り合いの方が連れていってくれたパーティに
美容外科のきれいな女医さんがいらしたのです。
目の保養に、美人先生に近寄ってお話すると、
最新の痩身機器の効果から、「私、本当は手術好きで、血を見るのが好きなの」という本音、
周りの男性が思わず耳を立てちゃう女子トークまで話題は広がりました。

先生は東大出身の美女医、でも2人のお子さんと旦那さんのお世話ももりもり、
でもちゃんと華やかな場所に顔も出し、文化的な生活も欠かさない。
率直な思いや女道を書いた、読み応えたっぷりのブログも毎日更新している……。

「この先生、どれだけ完璧主義なんだろ~」と傍観すること約ひと月。
扶桑社の書籍に異動した幼なじみのO嬢に「面白い女医さんがいるんだよ」と
おしゃべりのついでに話したら、「美容医療の本作ろうか?」とのこと。
「へっ?」といいつつ、先生とも打ち合わせ、
まずは美容外科、美容皮膚科に通ったことがない初心者に
医学的に正しいスキンケアと、スキンケアじゃ解決しない時に
どんな最新治療があるかという本を
同じ歳の3人で作ることになりました。

原稿も撮影もてきぱきとすばらしい頭脳で対応してくれる先生、
それをイラストで分かりやすくしてくださったのは
長年お世話になっているイラストレーターの小田切ヒサヒトさん!
そして自腹で美容医療をたくさん体験している後藤ユタカさんが
マンガを書いてくださり、上の本ができあがりました。

本の編集をしながら、反省することたくさん。。。。
日焼けとかシミとか完全にあきらめ、メイク落としもいい加減だった私。
洗顔は15回はすすぐんだ~。たるみ予防には地道なマッサージが必要なんだ~。

本を作りながら、素敵な最新美容医療を見逃す私たちではありません。
「モニターでいいので体験したいデス!」と先生に頼み込んで、
フォトシルクプラスというシミやくすみを取る施術を受けてみました。
顔にピシッという光を当てていくのですけれど、翌日には気になるシミが
なくなってました(取れない種類のシミというかアザもあります)。

日ごろのお手入れも大切ですけれど、ムキになって日焼けを防ぐより
のびのび過ごして、ちょいちょいと美容皮膚科のお世話になったほうがよさそう~。
先生もさっぱりしていて、「その施術は値段に合わないからしないほうがいい」
「私もこれやってて、お勧め」など白黒はっきりしていて気持ちよいです。
ということで、久しぶりの美容モノ(の本)を作りました。

一番に読ませたいのは、「私」ですが、ご興味ありましたらぜひどうぞ!

福岡市で働く姉が5月初旬から、自治体ごとの医師派遣で
いわき市に行く予定でした。
ところが、GWに入ってから、「とりあえず医療環境が揃いつつあるので」と
指示待ちになってしまいました。
緊張しつつ、自分なりに、医療プラスαで何ができるか考えたり、
他の医療従事者の方からアロマオイルを預かったりしていた姉のGWは
ぽっかり空いてしまったのでした。

「どうしよう。博多から石巻までだったら飛行機のチケットが取れそうなの」

そんなメールがきたので、
「今回の災害はこれから私たちも共有していくべきもの。
また医療派遣が始まるかもしれないし、迷惑をかけないのであれば行けば?」と
返事をした3時間後、姉はもう福岡空港から東京に飛んでいました。
(へっ、今日の話をしていたの?)

勢いと強い思いだけは抜群のおねえちゃん。

短い日数ですが、そこで感じたことをメールしてきてくれたので転記させていただきます。
(いきなり行っても迷惑なのはわかっていて、
一応、先発隊や関係者に聞き取りをし、
研修医時代にお世話になった長崎大学派遣エリアなどを目指して向かったようです)

「まず、認知症などの問題…精神科医師と内科医の連携の必要性。
(今日は実際に被災地をめぐっている間は、電話の先に精神科の女医さんと
循環器内科の先生夫婦が待機していてくれて、安定剤、睡眠薬など
適切なものを教えてもらいました)。
仮設住宅への入居や自宅への帰宅に伴う医療事情の煩雑化が目立ちます。

南相馬の中学校は長崎大学担当で、その他整形の先生が往診していました。
血栓予防の体操やリハビリについて指導されていました
(私たちも準備していたリーフレットを持っていきました)

避難所の看護師さん・ヘルパーさんの体力的な消耗と、
責任の重さと孤独との戦い等の精神的ストレス…燃え尽き症候群の懸念……。

海岸部は倒壊した建物や船や車が散在(腐敗した海水の臭いが酷かった)、
船の着岸にはまず海底の清掃、陸から船に向かう道の確保!道がない!
相馬港では今の現状では無理。船の病院に向かう道すらない。
船が着岸できそうな海岸がない…瓦礫や車、ひっくり返ったままの船などで、
重機による片付けも1日ごく少しの面積しかできていない。
実際はボランティアは少ない!瓦礫撤去にしても進んでおらず。

ただし石巻に客船が来て、いろんなサービスをしたのは好評だったとか。
船で診療所やディケアができれば、みんな通えるのに。。

陸前高田市、気仙沼市は、まだまだ惨状、
医療従事者の関与も他のボランティアも不足。
水がなかったり病院に行けなかったり劣悪な状況!

いわき市は時間の関係で寄れず、相馬を回り
(相馬港を立ち入り禁止の場所まで行って観察しました)、南相馬に。

原町第二中学と第一小学校の避難所へ。
長崎大学、長崎市医師会からの派遣が続いていて、
交代で南相馬市立総合病院からきていた、
西 幸江ナースの緊張・疲れ・やり場のない(きっと泣きたい)思い…!!
原発から近いため、南相馬市立総合病院には患者さんの受け入れなし!!
相馬の病院まで重傷者は搬送とのこと。

某ホスピスの看護師長さんからお預かりした「Pray for happiness」という名の
アロマと、避難所等での体操やストレッチのリールレット
(字を読まなくてよいように全部写真で示されています)、
メンタルチェック表(うつ、不眠症、PTSDなど)を看護師さんに渡して、
身体に気をつけて、何でもできることがあったら言ってくださいと伝えました。
若い彼女の目には涙が見えました。看護・介護する方にも休憩が必要!

被災者のお宅にもうかがって深夜まで話が尽きませんでした。
大変なのにご自宅に招き入れてくださって感謝。
被災から十日ほどしてやっと音楽を聞き、
音楽の力の大きさに驚いた、毎晩歌を聴いて泣くけれど前向きになれるようになったと。

車が3、4台流されたのには全く動じていません。
遺体が下半身だけでも出てきて良かったと。。。。
家族全員みつからない一家も沢山ある。

ボランティアと被災者の感覚の違い…温度差…?
地震や津波を思い出させることを平気できいてくるボランティア、
耳に触るボランティアの笑い声。

まだまだ苦しみは続きそうです。
がんばろう…私は言えなかった。ただ握手をしたり肩を抱いたり」

以上です。被災地をめぐって、気持ちも頭もぱんぱんになりながら
すごい勢いで打ったメールですが……。

医療者もボランティアもいろんなシステムや手続きも
そうスムーズに調整はできないでしょうが、
ここからまた何か必要とされるものが、動けばいいなと思います。

更新のないままで、失礼いたしました。

3月11日の金曜日はのんびりした1日でした。
午前中はネイルに行って、午後は犬と代々木公園へ散歩へ。
戻ってきて、リビングにいるときに、地震が起きました。

我が家は低層マンションの2階&3階だったので、
家中にある本棚から本が飛び出し、本棚が倒れるくらいでした。
階段の前の本棚が倒れ、3階に上れませんでした。
3階にいなくてよかったです。。(右の写真は仕事部屋)

 

   

生まれて初めての地震にびっくりして、ソファの奥の奥に潜り込んでしまった犬に、
どうにかリードをつけ、余震におののきながら、ニュースに釘付けでした。
夜になると、電車が止まって帰れない人々がうちの近くの大通りを
もくもくと歩いて帰っていました。テレビとツイッターをじっと見ながら、
とりあえず、避難バッグを玄関において、その日は服を着たままリビングで
眠りました。

夜があけて、東北での深刻な被害が明らかになってきます。
どうしていいのかわからないままの週末。

犬は余震でご飯を食べなくなるし、とりあえず東京の郊外へ一時疎開することになりました。
仕事道具、本、着替えと食料を詰めて、車で福生のほうへ。
もう2年以上だれも住んでいなかったおうちにとりあえず、仕事道具をセット。
結局、ガソリンが普通に出回るまで、3週間の疎開でした。

地震直後から、海外の友人たちが心配して連絡をくれていたので、
メールやfacebookでこちらの、なんとか大丈夫な現状を伝えていました。
数人の友達からは「一刻も早く、東京を離れなさい!」という
ちょっぴりヒステリックなメールもありましたが、
「仕事に差し障りがなければ、ヨーロッパの、うちに泊まりにおいで。
リラックスできるよ」というやわらかい申し出があったりで本当に感謝でした。

15歳のときに長崎の我が家にホームステイしていた、
アメリカ人のアンジーという女の子は、
心配のあまり、25年ぶりに私を捜し当て、連絡をしてきてくれました。
そして「荷物全部まとめて、うちにおいで」と。。

まさか、と思うような人たちが連絡をしてきてくれたのは、
本当にうれしいことでした。

東京23区のほとんどは計画停電もなく、本当ならば渋谷に住んでいたほうが
楽だったかもしれませんが、疎開先では夜の計画停電もありました。
どんなに着込んでも寒くてパソコンを打つ指がかじかみます。
あまりの寒さに耐えきれず、必要もないのに、ガスを使って、
カレーを煮たりして暖を取りました。
まだ雪が降る3月、東北の避難所での寒さはどれほどだったことでしょう。

生まれて初めての停電。普通にあるものがない、という生活。
地震と津波という大災害と比べると小さいことでしたが、
私にとっては衝撃的な出来事でした。
でもとても貴重な体験でした。
「ない」ということを体験してはじめて、「あることがすごい」に気が付きます。

とはいえ、慣れない場所、慣れないおうちで、
なぜかちょうど締め切りもあったので、ずっとテーブルに座り続けた毎日。
この期間はいろいろ気が張っていたのですが、
週に一度、渋谷の家に帰ってくると、気が抜けて
涙がぽろぽろこぼれてばかりでした。

ちょうど桜が咲き始め、きれいな桜を見ても涙腺はゆるみ、
悲しいニュースはもちろん、いろんな国からの支援や救助隊のニュース、
地元の方や日本中の人の頑張りを見る度に、涙、涙でした。

ガソリン騒動も落ち着いて、とりあえず2週間ほどまえから
渋谷の生活に戻りました。
いろんなものが少しずつ前に進んでいます。

感受性やら思考やら行動が遅い私はまだもうちょっと
うるうるし、お仕事もなんとかギリギリでまわし、
これからどうしたらよいものか、
地震や津波や原発で起こったことに対してどうしたらよいか
まだぼんやりしていますが、
少しずつ、進みたいと思います。

いろいろとご迷惑をおかけしたり、心配をおかけした方々
すみません。そしてありがとうございます。

ギリシャ人のお友達から、私の好きなギリシャのお菓子「ハーヴァ」など
「ガンバレグッズ」が送られてきました。

20年来の友達ですが、Facebookは情報が漏れすぎていつか大変なことになると
言って、なぜかいつも電話派です。
「ギリシャは経済が破綻して大変なことになったけれど、
太陽と青い海はなくならないから、僕たちは大丈夫。
本当に大切なものが何なのか分かるようになったよ」と。


▲お菓子だけでなく、オリーブオイルやギリシャのお酒なども入ってます!

▲これが、「ハーヴァ」というアーモンドで作ったスイーツです。
これをかじりながら、またうるうるしてしまいます。

すっかり地震恐怖症になった犬ですが、少しだけ立ち直るのが早くなりました。
そして、ちょうど1歳になりました(わんぱくは変わりません)。

これからは、もう「今まで通り」ではありません。
でも、少しでもゆっくりでも「よい方向への、今までじゃないこれから」に
なるように、相変わらずのんびりと、頑張ってゆきたいと思います。

たくさんの、つらい思いをした方、している方と
一緒に進んでいけますように。

1月の南極クルーズは、「南極ってスゴイ」というのはもちろんですが、
なんたって、参加してらっしゃる平均年齢70歳の「スーパーシニア」が
スゴイ!です。

体力のない、未熟なわたくしが励まされ、
年齢を重ねるのを楽しみになった貴重な体験でした。

いつも私を旅に向かわせる「人との出会い」。
一緒に南極へ向かった、隊長の三浦雄一郎さん、旅行会社の会長、
料理の鉄人の坂井シェフ、そして参加者のみなさんとの交わりを
再取材をしつつ、月2回のウェブ連載でつづっていきます。

その名も
『南極ものがたり』です!

まだプロローグですが、写真もたっぷりなのでぜひのぞいてください!

タイトルは『南極ものがたり』ですが、
太郎と次郎、木村拓哉さんは出てきません。あしからず。

今まで、すべての人にお世話される側にいましたが、
豆柴の足袋くんがきてから、少しお世話をすることになりました。
とはいえ、ご飯をあげて一緒に散歩に行くくらいですけれど。

お風呂からびしょびしょのままあがってくる私の、
濡れた足をなめにわざわざやってきてくれるので
足袋も私のお世話をしているつもりだと思われます。
(彼の心情は「柴犬『たび』のブログ」
ときどき記しているようです)

去年5月の上の写真はまだ生後2週間くらい。
2カ月で家に来たときも咳はしているし、ちっこし、
おろおろな毎日でした。

しかし、いまや、大型犬用のドッグランに入れれば
大型犬にこてんぱに吠えられ、それでも精一杯立ち向かっていく
今日このごろ。
怖いときはベンチの下に隠れたり、人間の後ろに隠れる
処世術も身につけました(これ大事)。

『柴犬の育て方』の本はもやは部屋の隅に追いやられ、
マイペース対マイペースの変な生活が繰り広げられております。

これからも引きこもり&運動不足の私をせっせと散歩に
連れていってくれることでしょう。
変な犬と散歩したい方は代々木公園集合です~。

追伸:前回はしょんぼりなブログでご心配おかけしました。
いろんな方に支えられて、しっかりオランダまでお墓参りにも行って
大切な思い出にしていってます!