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あっという間の半年

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気が付くと8月ももうそこです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。長らくご無沙汰いたしました。

2月10日にローマ~バルセロナ間の新造船取材から戻ると
厳しい現実が待ち受けていました。
それから半年。このブログも書いては消し、書いては放置しの日々でした。

今では、一つのクラスターという存在になっていますが、
苦節20年(私は)、やっと客船でめぐる旅も日本に少し馴染みが出てきたかなという時期でした。
私が1月末にヨーロッパに向かう頃は「中国、香港を経由した人は乗船不可」という
本当にすべての始まりの時期でした。

ヨーロッパから帰国して毎日、朝から夜までテレビに映し出される「ダイヤモンド・プリンセス」と
その混乱した報道。当時は武漢の後が客船で、一般の方には対岸の火事的なイメージでした。
そんな中、対応に当たられた船会社、医療従事者、旅行会社ほか関係者の方には
本当に労いの言葉しかありません。

落ち着いたかと思うと次はヨーロッパ。ヨーロッパ人の友人が多い私は
3月、4月と一緒にロックダウンしていた感があります。
そして、日本も緊急事態宣言。そんな中、我が実家、長崎の造船所での
イタリア客船でのクラスター発生。

600人のクルーのうち150人が陽性になり、医療従事者の多い我が家族や
友人たちのいる長崎には連絡もしずらい状況となりました。
(東京でもこのころが一番緊迫していた頃で、長崎のクラスターご存じない方も。。)

そして、これまた私のことになりますが、友人の病気が3月末に再発して
他の友人3人と闘病サポート。全室個室でしたが都内の中核病院なので
完全武装で届け物やお見舞いに通う日々が続きましたが、
闘病の頑張りむなしく、5月末にお空へ旅立ちました。

医院を抱え、家も緊張感が漂い、私の心も重いままの半年。
まだ東京、国内は感染は止まっていませんが、お天気と郊外のログハウス&田舎生活に
少しずつ慣れてきて、やっと好きな夏を迎えられると、
少し立ち直ってまいりました。打たれ弱くてすみません。

客船は「多くの人が集まって旅をする」という形態が今回未知のウィルスに
狙われてしまいました。クルーズ業界や旅行会社の担当部署は大変な思いをされていますが
私は「ジャーナリスト」を名乗っていたゆえに、
“海という自然を利用させてもらう旅” という大前提を忘れがちに、
どんどん巨大化してゆく客船や、豪華さに力を入れてゆく客船に
何らかの警鐘を鳴らせなかったのか、反省も多くありました。
世界的な未知のウィルスとはいえ、乗客に何かあったときに、港で
対処できるキャパシティーなどを考えた客船誘致をしてきたのかも同様です。
想像をしていなかったこととはいえ。。

さらに現在はまだ世界で約350隻の客船がクルーたちを乗せて海に浮いている
現状があります。見知らぬカリブの島や地中海の海に浮いている客船で
お客さんもおらず、日々過ごすクルーもそんな日が続くと精神的に参ってきます。
ちゃんと彼らの故郷で船から下ろしてあげられないというジレンマも長くありました。
今は国別に船を乗り換えて、アジアやヨーロッパなどに向かっている船も増え
少しずつクルーの下船も進んでいますが、ずっとずっとお世話になったクルーたちが
家族とも会えず、契約が切れているクルーはお給料ももらえず、どんな思いでいるかを
考えると切ない日々を過ごしていました。

早くクルーズが世界中で再就航してほしいですが、まず疲れたクルーが国で家族に会えて、
再び、契約できてプロフェッショナルに働ける状況が来ない限り、なかなか再開は
難しいと思います。
(ちなみに、ほんの一部の客船は欧州内や一国限定で、PCR検査後にクルーズを開始しています。
リバークルーズもしかり)

日本はもともと慎重な国ですし、やはりダイヤモンド・プリンセスでのクラスターの
イメージが大きかったので、苦戦を強いられるかもしれませんが
他の産業と同じく、一般の方にワクチンがいきわたり、治療薬も完成するというのを
待つしかありません。

でも、個人的には私は海に親しみながら、船上でいろんな国の乗客やクルーと
出合いながら、知らない土地を訪ねる「クルーズの旅」は大好きですし、
今後とも応援していきたいと思います。

医学的にもきちんとした治療や客船で起きうる問題、
そして客船が寄港地や海に対してかけてしまう負担などをしっかりと
見極めながら、これからも応援し、自分も参加していきたいと思っています。

今は日本からはなかなか客船には乗れませんので、
客船の次に好きだったホテルやリゾート(今は東京周辺しか行けませんが)
などをフォーカスしつつ、ホームページも10年近く変更できなかったので、
なんとかこの時期に再度作り上げていきたいと思います。

というわけで、元気ではありませんでしたが、元気にやっております。
東京郊外のログハウスにいる時間もちょっと長くなり、
豆しば、たびくんと、田舎の季節の移り変わりを珍しく眺めています。
これも貴重な時間。

みなさまも、どうぞお体に気を付けて、心もヘルシーで、
過ごせますように。

長くなりましたが、半年ぶり(珍しくないですが)のご報告でした。

2020年、明けましておめでとうございます。

ここ数年でクルーズに対する注目度も大きく変わり、
2019年はいろいろなクルーズのお仕事をいただきながら、
また新造船を含め、新しいサービスや寄港地を追いかけておりました。
実に2019年は10隻の客船、ほかに海外出張&遊び4、5回、国内出張数回。

クルーズの前後泊もマイレージで行くと長かったりして
さらに渋谷とあきる野の2重生活、、、と
まあ、本当に地に足がつかない一年でした。
(編集部に居た時のほうが、2か月に1度は編集に集中する約ひと月があったし、
前後泊も最短だったので日本=渋谷にはいました)。
月刊誌の連載をいただいていましたが、機内で書いたり、海外から
写メで赤字を送ったりでしたし。。。

2020年もすでに気になるクルーズはブッキングしちゃったりもしてますが、
クルーズの注目のされ方も変わってきていますので、
こちらの表現方法や紹介方法も変えていかねばと思っています。

というわけで、かなか苦手なウェブの更新やSNSでの更新もつい後回しに。。
過去の自分のクルーズをまとめたものがちゃんとないので
ひとまず、下記に2019年から、、と作り始めておりますが、
キャッチアップできるかどうか。。。

https://www.facebook.com/cruiseshipwriter
(でも今のところ、ここが一番早くアップデートしているところです)

前回、書きましたように、この「最近のわたくし」というページは更新ができますが
トップページほかは、運営をお任せしていた会社さんが
私がお留守番編集長4年間の間に営業をやめてしまったため、
まったく手を付けられない状態です。。

やっと重い腰を上げたものの、完全にお任せしていたので
ほかの方に頼むのも、古いデータ(現状)を吸い上げていただいて
「クルーズA to Z」は2010年くらいにお渡しした時点のものを救いあげていただくのも
奇跡的。それを再構築が今年の目標です。

お仕事のご依頼もいただくのですが、この怪しい10年間止まっているページを
見てご連絡をいただきますが、問い合わせなどはちゃんと届いて
無事にご連絡をいただいております。

ホームページはドメインの関係でお引っ越しするかもしれませんが、
またどのような形かでお知らせできるようにしたいと思います。

今年もたくさん海に漕ぎ出します! 元気にクルーズを発信します!

どうぞよろしくお願いいたします。

クルーズ・ライター/クルーズ・ジャーナリスト

藤原暢子

また長いこと、ご無沙汰しております。

2018年12月末をもちまして、『CRUISE』誌のお留守番編集長を無事に
卒業して(「プロデューサー」という謎の肩書をいただいてます)、
独立した、クルーズ・ジャーナリストに戻りました。
前のブログからちょっと延長がありましたが。

2004年~2010年、
2015年~2018年と結局10年、『CRUISE』誌の編集長をしたのですが
さすがに後半は体力的に精一杯だった気がします。
(体力がないのに、全力疾走で短距離を走るので)

といいながら、1月はお正月を竹富島で過ごし、
翌日から「クリスタル・セレニティ」(クリスタル・クルーズ/LA周遊)の改装後のチェック、
ベルリッツ評価最高峰「オイローパ2」(ハパグロイド・クルーズ/バリ~オーストラリア)10日間、
「クイーン・エリザベス」(キュナード・ライン/南オーストラリア周遊)改装後の取材
「MSCベリッシマ」命名式(MSCクルーズ/英国サウザンプトン)
「シルバー・ミューズ」(シルバーシー・クルーズ/東南アジア食プロジェクト視察クルーズ)と
3月まで船に乗り倒し、
素晴らしい経験をさせていただきました。

ちょっと途中で息切れしたりもしましたが、
今後は健康的な生活と体力つくりもしつつ、
取材&執筆を続けていきたいと思います。

執筆だけでなく、クルーズの魅力を伝える、何か違う方法も
考えていければと思っています。
(まだ締め切りでアップアップしておりますが。。)

ひとまずは「お留守番編集長」卒業いたしましたの近況報告でした。

あっという間にGW進行(連載ほか)と
GW、他のクルーズが待ち受けております。。。

ちなみに、藤原暢子のHPはHP更新とサーバーを貸してくださっている会社さんと
連絡が取れなくなってしまったので、更新不能になり、
最新情報などは、
https://www.facebook.com/cruiseshipwriter/

こちらに移させていただいております。よろしかったから
「いいね」をお願いいたします!

すべてが止まっております、我がサイト、申し訳ありません。
フロントページも変更したいのですがサイトの管理をしてくださっている方と
連絡が取れないままな生活をしています。

2015年に、古巣の編集部のナンバー2が産休に入るということで
準・編集者として戻って特集などを1年担当し、5年ぶりに現場に
戻ったわけですが、最初はクライアントなども変わったりしていて
なかなか大変だったり、やはりいつもの人材不足で特集をがっつり
作らせてもらったりしていました。

1年間の契約が終わる頃に、私が編集長を辞める時にバトンタッチした
編集長の妊娠が発覚。なんと2年続けて産休代理の手伝いに。

編集長には戻ってきたナンバー2の子がなり、
まだ0歳児を保育園に預けながら、パワフルに苦労しつつも
頑張りました。私も横で手伝いが続きました。

そして、さすがにここで終わるはずの産休手伝いでしたが
産休後、編集長になった子が第二子を妊娠!

産休に入ってしまうと、30代と20代2人の編集者しか残りません。

会社も編集長も悩んだ末に、2017年4月からの、お留守番編集長を打診されました。

さすがに私も3年目。それも今度は編集長というタイトルが着きます。
生半可な気持ちで受けることはできません。。。
でもここまで続けてきた創刊30年にもなる雑誌。。。
2重生活も続いて、郊外の本来の家に帰れない日もすでに増えていました。

しかし、結論は2018年の4月に戻ってきてくれるなら、
編集部のみんなで協力して頑張ろうということでした。

家や犬と会えないなどもちろん犠牲にしないといけないこともあります。
でもさすがに、大切なお子さんを授かり、その子を産んだら戻ってきたいという
新編集長は応援したいと思いました。

ということで、再び編集長の名刺を持たされ、半年。
仕事量もですが、いろんなところにご挨拶にいったり、対応も
必要です。7年のブランクは体力的にもブランクなわけで(笑)。

でもやっぱり編集部の子たちは本当に頑張っているし、かわいい。
私が先輩方から学んだことを部分的に伝えられればそれはいい機会だし
なんとかあと少し頑張る所存です。

いろんな方とお会いする機会を得て、自分なりに次のステップで
何ができるかも考えることができます。

弱音を吐いたり、眠眠打破やアリナミンのお世話になる日々も多いですが
2人のベイビーちゃんを抱えた編集長と
同じく4月に戻ってきて、次は管理職に付く前編集長が会社に来る日まで
できる限りのことはしたいと思っております。

求められる内が華ともいいますし。。

犬と過ごす年数が減ったのと、この3年間で両親が他界してしまったのは
微妙なタイミングではありますが。。
(最後、ひと月に1回実家長崎に帰るという目標が2,3カ月できなかった時に
母を急に失ったことはちょっと残念です。毎晩、「忙しいのが終わってからでいいから
待ってるね」と電話で励ましてくれていた母の声は忘れられません)

でも、これも「そんな定めだったのよ」と言っていただくことも多いので
仕事と一緒に乗り越えていきます。

窮地にいるからこそ、助けてくれる方ともたくさん出会えて、
毎日が感謝の日々です。

人間らしい日は戻ってくるのかなーーー

ま、趣味=仕事にしてしまった自分の意思でもありますし、
前を向いて、少子化のお手伝いが少しできたと思うことにしましょう。

かわいく、そしていつも協力的で頑張り屋さんの編集部の子たちにも
感謝です。まわりの方々にも。
クルーズ、海の仕事に就いている方がやっぱり心が大きいような気がします。

私もそんな一人として、これからも生きていきます。

長い報告になりましたが、すべてのサイトが止まっているのは
そういう訳でございました。

編集長とはいえ、社長出勤の、時々在宅もする我が儘自由編集長を
許してもらっていて、時々、逃亡もするので、元気です。

4年ぶり?

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4年ぶりの投稿になります。
何やっているんでしょうか。
2015年の7月から10ヶ月間は、古巣の『CRUISE』編集部に
産休が出たため、代打で働いていたので仕方ないのですが
Facebookに日常のUPが移ってしまったのが大きな理由でしょうか。

元気です。小さい病気や蕁麻疹に悩まされてますが元気です。

豆柴たびくんももう6歳、ますますやんちゃです。

できてから、もう3年以上経ったログハウスも全然登場してませんね。
今度ゆっくり紹介します。すでにどんどん変化していってます。

15年近く住んだり、事務所に使っていた代々木のマンションも
2015年の夏に400mくらい移動して、初台駅近くに移動しました。

少し狭くなりましたが、駅まで3分くらいなので
電車を使うようになりました。

編集部を辞めて、10キロ太ったのも、炭水化物抜きダイエットで戻りました。

2016年4月末で終わるはずの編集部の代打ですが、もうひとり、
編集部に産休が出て、2ヶ月だけお休みして、7月からもう10ヶ月代打が
決まりました。明後日から仕事です。

何やってるんだろうーと思ってますが、ニッチな業界なので
代打選手がいないのです。2010年に無理無理、辞めて、今の編集長に
押し付けてしまったので、できることがあればせめてお手伝いできる部分は
頑張ります(出社時間や在宅もできるので)。

いろんなブログも頑張りますね。たびくんはインスタ #たびくん でやってます。

Facebookは知り合いの方に限定しているので、ブログ頑張ります!

お船はまだ乗ってますよ!

年を越し、長らく時間が空いてしまい、さらにこんな事故についてのブログとなりました。
「豪華客船、沈没」「タイタニックから100年後の13日の金曜日」「船長が先に避難」など
いろんな報道がされました。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。不明者の方、事故理由も早くわかりますように。

クルーズ業界も私個人もかなりびっくりした事件でした。
そしてびっくりしたのがコスタ・コンコルディアを「豪華客船」とシャウトする報道、
次にショックを受けたのは「豪華客船での旅をするならある程度のリスクは背負わないと」など
お金持ちを想定した乗客への冷ややかな嫌味、
「救命ボートが錆びていたらしい。クルーも逃げた。片手間の仕事らしい」などの
根も葉もないコメントの数々でした。

そもそも今回の客船は、報道でもあったように、
日本からのツアーが7泊のクルーズと飛行機代込みで18万円から。
クルーズだけなら700ドル(5万6000円)くらいからです。スイートルームでも20万円(1週間ですよ)。
世界に400隻あるといわれる客船の中で、松竹梅なら梅、
ラグジュアリー、プレミアム、カジュアルなら「カジュアル客船」のカテゴリーに
属します。1泊8000円~2万円(食事、エンタ、移動費込み)で
陸のホテルに泊まって旅するよりもかなり安く旅行ができます。
アメリカやヨーロッパでは「安く旅行するならクルーズ」という認識なので
日本の報道とはまったく違う扱いです。

私もコスタ・コンコルディアと同じ形の船、「コスタ・セレーナ」に乗りましたが、
まだ金銭的に余裕がないイタリア人カップルの新婚旅行、
つつましく暮らしているご夫婦の記念日の旅行、
子連れ(子供は同室2人まで無料)のファミリーと実に庶民派クルーズです。
私はイタリア人の大工さんで結婚記念日で乗っているご夫婦によくしていただきました。

もう一つ、誤解で悲しかったのはクルーの避難訓練についてです。
「乗船していた約1000人のクルーのうち、大半がサービスやエンタ担当だった」と
言われていますが、それは事実です。ホテルと同じ機能を持つので
ウエイターや客室係、エンターテイメントにつく仕事のクルーは多いのは当然です。
船の安全を守るのは船長以下航海士や機関士たちがあたります。
(基本的に航海士は少数精鋭のエリートです)

ただ、すべてのクルーは定期的なクルーだけの避難訓練(実際に救命ボートを下して
動くかも確かめます)を行い、乗客との避難訓練のときには全員で誘導を行います。
法の上でこれらの訓練を行っているので、これは紛れもない事実です。

ただ、今回のように船が傾いてしまったために救命ボートが降りてこなかったり、
急な事故のため、パニックになったクルーがいたのも事実でしょう。

私は今まで100隻近い客船やフェリーに乗ってきましたが、
どんなに気候が悪くて揺れたとしても、船を危険だと思ったことはありませんでした。
出航する港にやっとこさ着いて、船に乗ったのに、避難訓練が毎回毎回あるのを
憎々しげに思っていたほどです。

唯一、「海は怖いんだ」と思ったのは南極クルーズでした。
ベテランの船長が天気予報を確認し、南極から南米アルゼンチンへの帰路の
日程を早めて、嵐に追い立てられるように戻った時です。
ドレーク海峡という悪名高き荒れる海峡を揺れながら戻りましたが、
揺れるということよりも、「日程を変更してまで帰路を急ぐ」ということに驚き、
探検船という特殊な船でも自然には対抗できないのだという畏怖を感じたのです。

そのくらい安全性を信じていましたが、
今回、私もクルーズ関係者も教訓を得ました。
経済性を優先して大きな船をすごい勢いで造りすぎたのではないかと。

安いクルーズですから、船をたくさん造り、乗客をたくさん乗せないと
利益はあがりません。また大きければ派手な施設も造れ、PRできます。
船が増える分、船員がどんどん必要になり、
船長を含め、船員の質の低下を招いたのではないかということです。

楽ちんで、快適で、船上で友人もたくさんできるクルーズという旅の形を
日本人の方にもっと知ってほしくて、様々な形で紹介したり、勧めてきました。
まだまだ「高い」「揺れる」「退屈」などたくさんの誤解があるクルーズですが、
少しずつクルーズに参加される人も増えてきたところです。
そんなときに、私たちは安全性などについてももう少し考え、
確かな情報を伝えていく必要があったのではないかと反省しています。

船長の逃亡劇でまだまだネタを提供してくれそうな今回のコンコルディアの
事件ですが、根本的な問題にメスが入れられ、改善し、
そしてまた多くの方が快適にお手頃にクルーズを楽しめる日がやってくることを
望みます。

今回のような事故原因は許されませんが、
歩いていても、車でも、電車でも、飛行機でも事故にはあいます。
船の事故率(助からない率)というのはかなり低いほうです。
そんなこと、ニュースでは誰も言ってくれませんが、
私はこれからも、いろんな客船で旅をしつつ、クルーや乗客、
訪ねた土地の人との出会いを楽しんでいきたいと思います!

そして今までは「楽で便利で楽しい乗り物」でしたが、
海という自然の中で旅をさせてもらっていることを意識し、
安全に航海させてもらえることに感謝し、
海と近い旅をしていることを楽しみたいです。

追記になりますが、コスタ・クルーズはヨーロッパ人の乗客が多く、
船内放送では5カ国語以上の言語で行われます。
イタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、英語、そして
他の国からの乗客が多ければ、その国の言語も加わります。
事故時の問題として、英語が母国語でないクルーが多いため
コミュニケーションができず、事故が大事になったり、誘導ができなかったりします。
国際海事法では英語を基本としているので、その指導も厳しくなることでしょう。
乗客も、いろんな国のクルーや乗客と出会えることはすばらしいことですが、
私たちができることとして、万が一のために少しでも緊急用の外国語を
かじっておくのはいいかもしれません。
(私がイタリア語を習い始めたのは、このコスタ・クルーズの船で
イタリア人乗客と意志の疎通ができたらもっと楽しかろうという思いからでした。
全然上達してませんが)

コスタ・クルーズの場合、英語は5番目のアナウンスになるので、
それを待たずに、ほかの言語をキャッチすれば行動は早くなります。
と、これまた自戒を込めた気づきでした。

秋も深まる今日このごろ。
夏休みの宿題はあれこれ終わらないまま、もう10月です(涙)。
忘れないように、2011年夏を駆け足で。

かつてなく、盛りだくさんだった夏休みは、7月初旬からはじまったから。
これ、イイです。「7、8月は頑張って9月に休みを取ろう」というより、
7月に取れば、さりげなく、8月、9月にも夏休み取れるかもです。

しかし、ブログが止まってしまったのは、facebookにちょろちょろ写真をUPしていたのと、
最初のバケーションがクルーズだったからなのでした。
クルーズになると、どうしても仕事モード。ブログ用に写真をピックアップするのも
ダルくなったりします。

とはいえ、今回は仕事3割で、7割がバケーション。
船はラグジュアリー客船の新造船「シルバー・スピリット」。
乗ってみたかったお船です。
今までの4船よりもかなり大きくなって、若いエグゼクティブなカップルに似合いそうです。

ローマ発着だったので、ローマで1泊。時差調整のために1日早く行って、
スペイン広場近くのお宿にステイ。翌日の乗船は何時でもよいので、
翌朝はお買い物したり、行ったことのなかった(!)バチカンへ。
暑くて、人いっぱいです。とんでもない行列に並ぶ元気もありません。
「ここが『ダヴィンチコード』のね~」と流します。。。

ローマから外港のチビタベッキアへは初めて電車で。
テルミニ駅からチビタベッキア行きの電車は追加で作ったような端っこのホームから出ます。
15分後くらいの電車の券を買ったら、死にます。ホームがなくて走ります。
30分後のを買いましょう。教訓。
そしてチビタベッキアの駅は小さく、電車の到着時刻もいい加減なので、
iphoneのgoogle mapが役立ちました。

今回はあちこちめぐるクルーズでなく、ソレントに沖留めが2日間、
フィレンツェの外港リボルノ、そしてコルシカ島に行ってローマへという南イタリアのゆったりコース。
と思いきや、ソレントからはアマルフィ海岸、ポンペイ、カプリへ観光に行くことができます。
ソレントでのんびりそぞろ歩くだけでもいいのですが、貧乏性なのでそうは行きません。
仕事的には3カ所とも押さえておきたいところですが、
今回はポンペイとアマルフィーにしました。
ポンペイ遺跡は、埋まっていたことをのぞけば、ローマ市街やアテネの遺跡と
あまり変わらず、といいいますか、すごい気温でもう思考能力が奪われていきます。

体にミネラルウォーターをかけながら歩きます。
日陰はほとんどありません。あると出れません。写真上 ↑

アマルフィー海岸は途中の、ポジタージュという断崖の街が景色よいです。

長崎も坂ばっかりだけれど、ここもロバを使うのかな~。
アマルフィーも同じように断崖にできた街(その手前に海岸)なのですが、
完全に観光地。ただ、街を守るための城壁や迷路のような街は
やっぱり楽しいです。 「世界ふれあい街歩き」状態になりながら歩きます。

NHKといえば、エルムンドの火曜日レギュラーの編集者(コラムニスト)の
中村孝則さんも同じ船に取材で乗ってらして、NHKの若手クルーと撮影頑張ってました。
あとで放送をみたら、小物や服など持ってきてらっしゃったものが半端なく多く
びっくりしました。船上でお茶まで立てて、まわりを盛り上げてます。

「ディナーのシーンを撮りたいので、参加して」とのお誘いをいただいたものの、
とっても手を抜いてきていた私はフォーマルなドレスもちゃんと持ってきてなくて
慌ててコルシカ島で買いました。。。しょぼん。

今回、意外性があって楽しかったのがこのコルシカ島です。

シシリアのすぐ近くにあるのに、フランス領で、今回、船は南のボニファシオという港へ。
ごてごての南イタリアからいきなりフランス。不思議です。
海は青く、地形もフクザツで眺めるのも、探検するのも興味深いです。
プライベートヨットで海遊びに来る人が多い感じ。
ただ、町自体は観光で持っているので、冬はがらんとしてるのだろうなあ。

船内ではバトラーもいて、ルームサービスで何でも食べられ、
(シャンパンやアルコールも飲み放題なのに、下戸で残念すぎます)
スパもいい感じです。

メインダイニング以外のレストランが5つあるので、全部行けないのが残念でした。。。

そんな素敵な船内生活を送っていたのに、
去年、滞在していたボローニャのアグリツーリズム(半農半ホテル)のフェデリコから
「ノブコ、今どこかい? うちにプールができたよ」とのメール。
(まさか私がイタリアにいるとは知らないフェデリコさん)

いきなり1泊分の準備をして、「ちょっとお泊まりしてきますので、リボルノで
下りて、ローマに戻ってきます」と下船。
フィレンツェに1時間ばかり寄って、さらに2時間かけて
フェデリコのお宿に向かいました。
ほ、本当だ。去年は畑だった裏庭にプールができてる!

実は去年、「プールを作ろうと思うんだけど」とフェデリコに言われたものの、
「えー、プールなんてなくていいよ。ここは十分居心地がよくて楽しいよ」とお返事していたのですが、
プールいいです。夕方からずっとプールに入りっぱなし。頑張って掘ったそうです。
手伝えなくてごめんね。

伺った水曜日はフェデリコのお宿は夕食がない日(フェデリコの休みの日)なので、
困っていたら、わざわざイタリア人の友達を呼んで、持ち寄りのプールサイドパーティを
企画してくれました。
英語が分かるのはフェデリコだけなので、ちょっと不便ですが、
みんなでギターを持って歌っていたり、分かりやすくしゃべってくれるので
本当に心地よいボローニャの夜。ありがとう、フェデリコ。

去年、編集部をやめてヘロヘロになってたどり着いたのがフェデリコのお宿でした。
畑をいじり、丘を登り、フェデリコのお料理やお肉をたくさん食べ、復活していった私。
今年は元気な顔で訪ねられてよかった(それも当日に連絡して)。
今では、私の大切なイタリアのおうちです。

ボローニャはパルマと同じエミリア・ローマ州にあるので、帰りがけに旧市街の市場に寄って
パルメジャーノチーズの巨大な固まりを3つも買い占めてきました。

日本で買ったら、200グラムで1000円くらいなのに、この固まりで2000円くらいです。ふふ。

ということで、ローマに戻って、スーツケースを置いたままのお船へ戻り、最後の夜を過ごしました。

もっと大きい船だったら、勝手なオーバーナイト(船を一旦下りて他に泊まること)は
面倒だったかもしれませんが、さすがのシルバーシー。
大人の船で、すぐに手配してくれたことに感謝です。
本来はこの自由さが船旅なのかもしれません。

海も船も陸も食も、満喫して、帰国。
でもまだ7月17日! 夏休みはまだまだたっぷりあるのでありました。

ふらふらと放浪する割に、住む場所はあまり変えません。
日本だけなら5カ所。大学時代はキャンパスが変わるので2か所、
就職してからは1度引っ越しただけ。
今の渋谷にはなんと15年住んでます。
ふうてんのトラさんも、ふらふらしているけれど、
帰るおうちは一つですからね。

家を建て直すなどで、一時的に引っ越したことはあります。

5歳のとき、実家と隣の病院を一緒に建て直したので、
先にできた病院に、家族と住みました。
これはかなり強烈な思い出。

2番目の姉は個室の病室を与えられ、
一番上の姉は受験中なので、大部屋を一人ゆうゆうと。
私と3番目の姉はまだ小さかったので
父と母と大部屋暮らし。

できたばかりとはいえ、ベッドも入った病院(19床なので厳密には診療所)。
みんなで4階の大風呂に入りに行って、
帰りがけに3階の厨房で、プラッシーを飲んで帰るのです。
お歳暮にいただくプラッシーは夢のようなジュースでした。

そのうち、隣の家もできたのですが、病院好きな私は
病気をもらうからと、連れ戻されても連れ戻されても
病院に遊びに行くのです。
受付で看護婦さんたちに遊んでもらったり、
院長室で医学雑誌を眺めたり、レントゲン室で父の頭蓋骨を
生で見せてもらったり……。
私の庭は平和公園、テーマパークは病院と行っても過言でありませんでした。

そしてそれから三十余年が過ぎ、再びクリニックの二階に居候しております。

地震があってから、旦那さんの仕事場と実家のある福生近くのおうちで
過ごすことが多かったのですが、
築30年の、持ち主のいなくなった実家(義父は2年前に亡くなりました)は
鉄筋で大きくて、どうしていいかわからない感じ。
リフォームするかどうか、考えていたころに、
「小さくて、木でできたおうちをつくろう」ということになりました。

30年間の生活がたっぷりつまったおうちのお掃除をすること1年。
骨とう品屋さん、リサイクル家具屋さん、フリーマーケット出店、
ブックオフ、あちこちのバザーに活躍の実家の母の助けを借り、
なんとかおうちも空になりました。
これから解体して、小さなおうちに生まれ変わります。

そして、仮の住まいは歩いて200メートルのところにある
旦那さんの診療所の上。急きょシャワー室を作りましたが、
キッチンもダイニングも寝室もあり、生活が始まりました。
放浪者なので、新しい空間への適応力は大丈夫。

月~木をこちらで過ごし、木~日を渋谷で過ごす2重生活が
本格化です。

基本的に原稿はどこでも書け、打ち合わせも月~木は
メールと電話でこと足りるので、大丈夫です。

ちょっぴり緊張しているのは環境。
長崎は地方都市ですが、大きな道路に近く、車や観光客の多い場所でした。
渋谷のほうが閑静な住宅地ですが、新宿、原宿、渋谷がすぐそこ。

目の前に山が広がり、空がたくさん見える新しいこの環境は
ちょっと今までと違う体験。
ですが、親身になってくれる大工さんや下で働いてくださっている
スタッフの方などのお気遣いをうけ、
ゆっくりと「畑&山ガール生活」が始まりました。

今年はいつもより蚊にたくさん刺され、蝉の死骸をたくさん見ました。

ゆっくりマイペースで慣れてまいりましょう。

南イタリアクルーズから帰ってきました。
また、そのことは後日、ゆっくりと……。

さて、フジテレビ系列で「ロック ~わんこの島~」の映画が始まりました。
GW前、「島でね、船で行く取材でね、犬の話だからね、一緒に行こうね」と
幼なじみの編集者がとても自然に誘ってくれるので、素直に「うん!」と返事をして
三宅島に向かいました。

約8年前、東京都の仕事で伊豆七島に、ジェットフォイル、フェリー、
飛行機、ヘリコプターとあらゆる手段で、取材に行って島紹介のムックを
作ったのですが、当時、三宅島は噴火で全島避難中。立ち入り禁止でした。
これは伊豆七島をコンプリートするまたとないチャンス!

夜22時に出るフェリーで約6時間。三宅島に早朝到着。
ロックという犬を飼っていた民宿夕景のご主人が迎えに来てくれていました。

ロックは雑種の白い犬ですが、4年半にわたる全島避難を体験し、
島に戻ってきてからは、飼い主や島ののんびりムードの中、
首輪もリードも付けずに、島をてくてく歩き、行きつけのスーパーや
レストランでご飯をもらったり、観光協会に応援に行ったりした
島の人から愛された“のら犬系”の犬でした。
(のら犬写真家を目指す私としては興味津々!)

フジテレビの目覚ましテレビ「今日のわんこ」に登場してから、
ブログも有名になり、なんと映画化が決まったのです。
残念ながら本物のロックは昨年の夏に、撮影を見ずして亡くなり、
私たちは本物ロックの足跡をたどりながら、
映画のオフィシャルブックの取材を始めたのでした。

(映画の内容に加え、三宅島の魅力や本物ロックの様子、
そして目覚ましテレビに出たロックのDVD付きという豪華版の本が
絶賛発売になりました~。犬好き、島好きの方、よろしければぜひ~)

ところで、本物のロックですが、
ふうてんの寅さんみたいな、あまり家に帰ってこない、
そして、行きつけの所にも、ひょっこり現れるロックなので
「死んだ気がしない。また戻ってくる気がする」と島民のみなさんが
口を揃え、ロックに愛情たっぷり。

ふうてんの犬さんの割には、人間くさい瞳で、犬好きなら
ころっと心奪われてしまう犬だったことは生前の写真や島民、飼い主の方の
お話からすごくよく分かります。

映画はある程度脚色され、子供でも観やすいものになっています。
(映画は内容というよりも、当時、あまり深く考えなかった三宅島の
噴火が、島民の方の生活や人生にどれだけ負担をかけたか知ることができます)

全島避難が解除になってまだ7年。火山灰や火山ガスと戦いながら、
ライフラインや生活ベースを築くので精一杯ですが、
火山の島が作り上げた美しい島の形や海(ダイビングのナイススポット!)があり、
観光業の復興もじょじょに進んでいくでしょう。

私ものら犬系ロックのかわいさにすっかりやられてしまい、
ロック&三宅島を少しでも応援したいと、友人の手を借り、
自分も内職して、この夏、再び三宅島に行く予定です。

映画を観た方も観てない方も、ぜひこのオフィシャルブックを手に
のら犬ロックが歩いた三宅島を訪ねてみてください~。

あれは去年も終わりのことでした。
知り合いの方が連れていってくれたパーティに
美容外科のきれいな女医さんがいらしたのです。
目の保養に、美人先生に近寄ってお話すると、
最新の痩身機器の効果から、「私、本当は手術好きで、血を見るのが好きなの」という本音、
周りの男性が思わず耳を立てちゃう女子トークまで話題は広がりました。

先生は東大出身の美女医、でも2人のお子さんと旦那さんのお世話ももりもり、
でもちゃんと華やかな場所に顔も出し、文化的な生活も欠かさない。
率直な思いや女道を書いた、読み応えたっぷりのブログも毎日更新している……。

「この先生、どれだけ完璧主義なんだろ~」と傍観すること約ひと月。
扶桑社の書籍に異動した幼なじみのO嬢に「面白い女医さんがいるんだよ」と
おしゃべりのついでに話したら、「美容医療の本作ろうか?」とのこと。
「へっ?」といいつつ、先生とも打ち合わせ、
まずは美容外科、美容皮膚科に通ったことがない初心者に
医学的に正しいスキンケアと、スキンケアじゃ解決しない時に
どんな最新治療があるかという本を
同じ歳の3人で作ることになりました。

原稿も撮影もてきぱきとすばらしい頭脳で対応してくれる先生、
それをイラストで分かりやすくしてくださったのは
長年お世話になっているイラストレーターの小田切ヒサヒトさん!
そして自腹で美容医療をたくさん体験している後藤ユタカさんが
マンガを書いてくださり、上の本ができあがりました。

本の編集をしながら、反省することたくさん。。。。
日焼けとかシミとか完全にあきらめ、メイク落としもいい加減だった私。
洗顔は15回はすすぐんだ~。たるみ予防には地道なマッサージが必要なんだ~。

本を作りながら、素敵な最新美容医療を見逃す私たちではありません。
「モニターでいいので体験したいデス!」と先生に頼み込んで、
フォトシルクプラスというシミやくすみを取る施術を受けてみました。
顔にピシッという光を当てていくのですけれど、翌日には気になるシミが
なくなってました(取れない種類のシミというかアザもあります)。

日ごろのお手入れも大切ですけれど、ムキになって日焼けを防ぐより
のびのび過ごして、ちょいちょいと美容皮膚科のお世話になったほうがよさそう~。
先生もさっぱりしていて、「その施術は値段に合わないからしないほうがいい」
「私もこれやってて、お勧め」など白黒はっきりしていて気持ちよいです。
ということで、久しぶりの美容モノ(の本)を作りました。

一番に読ませたいのは、「私」ですが、ご興味ありましたらぜひどうぞ!